前漢演義第十八回 酈生は謀略で要邑を取り、胡亥は斎宮で弑される (智酈生獻謀取要邑 愚胡亥遇弒斃齋宮)
章邯の降伏受理
- 洹南で章邯らが正式に降伏する。項羽は章邯の弁明を聞き入れ、司馬欣を上将軍として秦の降兵二十余万を先鋒に、章邯自身を雍王に封じて陣中に留め置いた。項羽は楚懐王の意向を無視して独断で行動し、四十万の大軍を率いて関中へ進撃する。
彭越との出会い
- 沛公は昌邑を攻めあぐね、漁師出身で豪傑肌の彭越と出会う。彭越はかつて仲間の少年たちに約束を破った者を斬って統率を固めた逸話の持ち主で、沛公に協力を申し出る。
酈食其の登用
- 高陽の門番で貧しい老儒・酈食其(郦食其)が、沛公配下の同郷の騎士を通じて謁見を求める。無礼な態度の沛公に対し酈食其は堂々と説き、沛公は態度を改めて彼を上座に迎える。
- 酈食其は陳留を先に押さえる策を献じ、自ら赴いて県令を酔わせ、夜中に城門を開いて沛公軍を引き入れさせる。県令は殺され、陳留は陥落。酈食其は広野君に封じられた。
沛公の西進
- 酈食其の弟・酈商も裨将として登用される。沛公軍は開封を囲むが落とせず、秦将楊熊を迎撃するため転じる。激戦の最中、韓の張良が援軍として駆けつけ、感動の再会を果たす。
- 沛公は張良と共に潁川を攻略し、楊熊はその後秦廷に誅殺される。さらに雒陽を避けて轘轅の険路を抜け、韓の故地を次々と奪還する。韓王成を陽翟に留め、南陽へ進軍。
南陽・宛城の攻略
- 南陽太守の齮を破り宛城に迫るが、いったん素通りしようとする。張良の進言で引き返し、夜襲で宛城を包囲。太守は自刃を図るが、家臣の陳恢の勧めで投降を決意する。
- 陳恢は沛公に対し、宛城を無理に攻めず太守を厚遇して降せば、以後の城も次々と帰順すると説く。沛公はこれを容れ、太守を殷侯に封じて宛城を任せ、軍を西へ進める。以後、丹水・胡陽・析酈と進軍し、略奪を厳禁して秦の民心を得ながら武関に至り、これを容易に突破した。
趙高の専横と指鹿為馬
- 咸陽では趙高が二世を宮中に軟禁同然に置き、鹿を馬と偽って献上する「指鹿為馬」を行い、真実を述べた側近を後に処刑して恐怖政治を敷いた。
- 沛公軍が武関に迫ると趙高は動揺し、病と称して朝廷に出仕しなくなる。
二世の悪夢と趙高の陰謀
- 二世は白虎が驂馬を噛み殺す悪夢を見て不安に駆られ、占いにより涇水の神を祀るため望夷宮に赴く。その隙に外の混乱の報が届き、二世は趙高に討伐を命じるが、趙高には既に対処する力がなかった。
- 趙高は身の保全のため、弟の趙成と娘婿の閻楽と共謀し、二世を殺して公子嬰を新たに擁立する計画を立てる。閻楽の母を人質に取り、決行を促す。
二世皇帝の最期
- 閻楽は兵を率いて望夷宮に乱入し、衛兵を殺して二世の前に迫る。二世は懇願して郡王や万戸侯への降格を願い出るが聞き入れられず、ついに自ら剣で命を絶った。在位三年、二十三歳であった。
- (詩:暴君の父を持った二世の末路と、宦官による禍を嘆く内容)
評語
- 沛公は元来儒者を好まなかったが、酈食其を礼遇し自らの偏見を改めた度量を称賛する。張良の献策や陳恢の言を容れる沛公の柔軟さこそ、大業を成す君主の資質であるとする。一方、趙高が二世を意のままに操り、ついには弑逆に及んだことは宦官が凶行に及んだ史上最初の例であり、後世これを戒めとしなかった漢唐の愚を批判する。始皇・二世の暴政が趙高を生んだのであり、秦の滅亡は趙高一人によってすでに定まっていたと総括する。