前漢演義第六回 儒者を坑に埋め、璧の出現に暴君の心が驚く (阬深谷諸儒斃命 得原璧暴主驚心)
李斯への疑心
- 梁山宮で丞相李斯の車馬の多さに始皇が不快を漏らし、それが漏れ伝わったことを知った李斯は以後供の数を減らした。
- 始皇は側近を問い詰めたが誰も泄漏を認めず、怒った始皇は側近全員を斬首させた。
盧生・侯生の逐電
- 方士の盧生は、始皇の性格が猜疑深く刑を好むこと、不老の仙薬など得られるはずもないことを侯生に打ち明け、二人で姿を消した。
咸陽の儒生坑殺
- 逃亡を知った始皇は激怒し、方士や儒生が妖言で民を惑わしていると断じ、御史に取り調べを命じた。
- 御史は拷問により無実の自白を強要し、罪状をでっち上げて始皇に奏上。始皇はこれを容れ、咸陽の儒生らを死刑とした。
- 連行される罪人(計四百六十余人)を目撃した長子扶蘇は憐れみ、刑の一時停止と始皇への奏請を願い出た。
- 始皇は激怒し、扶蘇を上郡へ追いやり蒙恬の監督下に置いた。刑は再開され、儒生らは生き埋めにされた。
馬谷(驪山)の坑儒
- なおも不満な始皇は、地方に詔を出して各地の名儒を募集させ、応じた約七百人を郎官に任じた。
- 冬に驪山の馬谷で瓜が実ったとの報告を受け、始皇は郎官らを検分に向かわせた。
- 実は温泉熱を利用して密かに瓜を植えさせた罠であり、郎官らが谷に入ると土石が崩され、全員が生き埋めにされた。
- (谷は後に「坑儒谷」と呼ばれるようになったとの説明あり)
烏氏倮と巴の寡婦清への褒賞
- 牧畜で財を成した商人・倮は、始皇に取り立てられ「封君」として朝賀に列することを許された。
- 貞節で知られた巴郡の寡婦清は入朝を許され、始皇から破格の礼遇(座を賜る等)を受け、帰郷後は「懐清台」を建てて顕彰された。
東郡の隕石と華陰の璧
- 東郡に落ちた隕石に「始皇帝死而地分」の文字が現れたとの報告を受けた始皇は激怒し、石の周辺住民を皆殺しにさせ、石も破壊させた。
- 秋、華陰で使者が謎の人物から璧を託され「今年祖龍(始皇)死す」と告げられる怪事が起きる。始皇は動揺しつつも強がり、占いの結果に従って三万家を河北へ強制移住させた。
評語
- 始皇の悪行の中でも坑儒は最も酷薄であり、亡国の禍根はここに発する。儒を坑めなければ扶蘇の諫言も左遷もなく、後の趙高の矯詔も起こらなかったはずだと論じる。
- 始皇が儒生は殺せても趙高一人は除けなかった点に、天の計らいの皮肉を見る。
- 烏氏倮や寡婦清への厚遇は、賞罰の基準が乱れていたことの表れであり、隕石をめぐる残虐や璧の怪異も、乖戻の気が禍を呼んだ徴と結ぶ。