殘唐五代史演義傳第五十四回 孫飛虎、鉄籠山に拠りて拒む (孫飛虎拒鐵籠山)

鉄籠山の地の利

  • 鉄籠山は東と北の二路しか通じておらず、東は鎮州、北は並州へ斜めに通じる。四方は高山に囲まれ連城のごとくで、五、六百人が山頂を守れば十数万の軍勢でも攻め落とせない要害であった。
  • 晋兵到来の報に、孫飛虎は金井関の戴礼が援兵を求めながらすでに関を失い、大軍がこちらへ向かっていることを憂い、鎮州の咽喉たるこの地の防衛の困難を諸将に語った。

曾杰の持久策と蕭龍の主戦論

  • 曾杰は、史弘肇・郭威はいずれも千軍の勇者であるため戦わずに守りを固め、十年分の兵糧と多数の兵、鹿角・炮架で路口を固く守り、晋の大軍が遠征で兵糧に窮する頃を見計らって出撃すべきだと説いた。
  • これに対し蕭龍は、晋兵の営がまだ定まらぬうちに一戦して撃退し、百姓を守ることこそ英雄の道であると反論し、自ら出陣して史弘肇・郭威を生け捕ると申し出た。
  • 孫飛虎は蕭龍・蕭鯨に一万の兵を与えて出陣させた。

蕭龍・蕭鯨の敗死

  • 劉知遠の陣では郭威が二万の兵を率いて出陣した。蕭龍・蕭鯨の勇壮な出で立ちが詩に詠まれるほどであったが、郭威は蕭龍を矛で刺し殺し、報復にかかった蕭鯨も鉄鐧で頭を打たれて命を落とした。
  • 敗残の兵が孫飛虎に蕭家兄弟の死を報告すると、飛虎は驚き、以後は隘口を固く守って出撃しないよう命じた。劉知遠は打つ手がなく悶々としたが、郭威の勧めで包囲策に転じた。

安重榮の契丹への内通

  • 安重榮は劉知遠が金井関を突破したと聞いて動揺し、牙将張孟徳は降伏を勧めた。董琦は、契丹主の寵臣阿思恭に金宝を贈り、契丹に朝貢を願い出て、晋主に劉知遠の軍を召還させたうえで契丹の力を借りて長安を奪う策を進言した。
  • 安重榮はこれを容れ、張雄・李勇を遣わして大遼の阿思恭に接触させた。阿思恭は金宝を得て契丹主に事情を奏上し、契丹主は使者喬榮を遣わして晋主に劉知遠の軍を召還するよう詔を下させた。

晋朝廷での議論

  • 晋主が群臣に諮ると、桑維翰は契丹の詔である以上従うべきだと奏したが、景延廣は反乱討伐が功を成す寸前でここで兵を退けば前功を失い後の禍となると反対し、詔を留め置くよう求めた。尚書李崧も撤兵を勧めた。
  • 晋王が使者を送る一方、景延廣は先んじて劉知遠のもとに撤兵不要の旨を伝える使者を送った。
  • 知遠が諸将と協議していたところへ朝廷の召還の詔が届き、進退の判断が次回へ持ち越される。

評語

卓吾子評。劉知遠の軍は破竹の勢いで、孫飛虎・安重榮は風を聞いて怖れをなし、策も力も尽きて契丹に援けを求め、辛うじて身を全うしようとした。景延廣が使者の言に従わなかったのは、反逆を企てる者がついには滅ぼされる運命を免れないからである。