殘唐五代史演義傳第四十九回 桑維翰、策を献じ城を取る (桑維翰獻策取城)

張后の詐計を見破る

桑維翰は「これは我が軍を足止めして援軍を待つ計に違いない」と警戒を促す。劉知遠は「張后が三日前に出産したというが、宮中に長くいた公主なら妊娠の有無を知っているはず」と指摘。公主に確かめると「あの女は懐妊などしたことがない、偽りだ」と笑って答え、敬瑭も納得し、攻城を再開させた。

内応の計

桑維翰は「力攻めでは城は死守されて成功しにくい」として、城内にいる旧知の排陣使・舒必達に密書を送る策を献じた。書には「駙馬の下で重用されている、今や長安は旦夕に落ちる、故人としてこの機に城門を開いて功名を立てよ」と説いた。舒必達は「今夜、備えのない隙に東門から攻め入られよ、自分は東門で待つ」と返書した。

長安陥落

その夜、敬瑭軍は東門に迫り、舒必達の手引きで城門が開かれ、三關の兵がなだれ込んだ。守備の官軍は逃げ散り、敬瑭は百姓への危害を禁じ、廢帝と張后の捕縛を厳命した。

廢帝の最期

宮中で酒宴中だった廢帝は敵の乱入を知り「大唐の天下は石郎のものになったのか」と嘆き、伝国璽を身に結び玄武楼に登って火を放ち、そのまま焼死した。多くの宮女も共に焼け死んだ。

張后の処刑

劉知遠が焼け跡から伝国璽を拾い献上、敬瑭は喜んだ。捕らえられた張后は絶世の美貌で、敬瑭は一時、後宮に留め置こうと迷う。張后は「公主を幽閉したのは自分の妬みではなく公主が皇上の意に背いたためだ」と涙ながらに命乞いをした。劉知遠は「多くの兵士の労苦の末にようやく得た長安、この女を残せば後患となる。速やかに罪を正すべき」と諫め、桑維翰も刑吏に命じて処刑させた(詩:淫婦を后とし綱常を乱したことが姑嫂の争いと国の禍を招いた、国を滅ぼすのはいつも女人であると詠む)。

評語

卓吾子曰く、舒必達は国を売って栄達を求め敬瑭を城内に導いた。廢帝は酒色に溺れ、忠良一人なく国難を防げなかった。自ら火を放って焼け死んだのは、閔帝を弑した報いであろう。張后は絶世の美貌で敬瑭も加害を忍びなかったが、劉知遠・桑維翰が処断したのは輔弼の任を全うしたものと言える。