殘唐五代史演義傳第四十回 趙覇、汴に入り軍糧を騙し取る (趙霸入汴誆軍糧)
趙霸、汴梁へ潜入
本伝によれば趙霸は後の趙匡胤の高祖にあたる人物である。趙霸は道昭になりすまし汴梁へ入り、東華門で梁帝への謁見を待った。梁帝は王彦章からの表文を受け取り開くと、雞寶山での苦戦、史建唐に連敗したこと、兵糧・援軍を至急求める旨が記されていた。
梁帝、援軍を派遣
梁帝は趙霸を使者と信じ、曹龍に命じて五万の兵と十万斛の糧草を雞寶山へ送らせることとした。副将には天水出身の於耀(字は徳輝)が「史建唐を生け捕りにする」と名乗り出て起用された。梁帝は曹龍を大将軍、於耀を副将軍に任じ、精兵と物資を持たせて出発させた。
趙霸の裏切りと糧草強奪
道中、唐の七将が現れて糧草を渡すよう迫った。趙霸は曹龍・於耀にわざと敗走させ、自らは得意の套索(投げ縄)で待ち構える策を用いた。曹龍は趙霸に縄で捕らえられ一槍で刺殺され、於耀も七将に囲まれて乱刺されて死んだ。趙霸は軍馬と糧草をすべて唐営へ運び込み、建唐から大功を賞されて都指揮への昇進を約された。
彦章の激怒と友珪の再派遣
梁からの援軍と糧草が趙霸に奪われ、曹龍・於耀が討たれたと知った彦章は激怒し、趙霸誅殺と唐軍撃滅を誓った。折しも朱友珪・朱友従が到着し、彦章から事情を聞いた友珪は「自分たちが汴梁へ赴き、道昭の消息を確かめつつ軍糧を求める」と申し出て出発した。
評語
趙霸が巧みに軍糧を誆り取り唐営へ収めたこの一功が、後に子孫が三百年の宋の基業を築く端緒になったとすれば感慨深い。彦章の策はここに尽きたと評される。