殘唐五代史演義傳第十八回 存孝、永豊倉を火で焼く (存孝火燒永豐倉)

存孝、知らぬ間に長安へ突入

存孝は十八騎を率いて葛従周を七日七夜追い続け、霸陵川を越えて長安城内へ入り込む。従周は皇城に逃げ込み黄巢に戦況を奏上する。孟絶海ら三将を失った緒戦から、李存孝の猛勇により張権や四十八将、四十余万の兵を失った大敗までを報告し、存孝がなおも追撃してくると警告した。黄巢は驚愕し、城門を固く閉ざして翌朝群臣と協議することにした。

存孝は自分が長安城内にいるとは知らず、居民に問うて初めて帝都長安であると知る。十八騎で発覚すれば包囲され全滅しかねないと悟った存孝は、まず糧秣の要である永豊倉に火を放ち、賊軍の兵站を断つ。たちまち城内は紅蓮の炎に包まれた。

黄珪の討死と赤鬼馬の獲得

火災の報せに驚いた黄巢は、御弟の黄珪に鎮火と存孝討伐を命じる。存孝の乗馬が鼻血を出して動けなくなり窮地に陥ったところへ、黄珪が壮麗な赤鬼紅鬃馬に乗って現れる。存孝は名乗り合った後、黄珪の叉をかわして捕らえ、火中に投げ込んで討ち取り、その名馬を奪って乗り換えた(詩:この馬の駿足と存孝への天佑を詠む)。

五鳳楼での一箭

奪った馬が皇城の正陽門を知っていたため、存孝主従は誤ってそのまま皇城内へ導かれる。城門番は黄巢が存孝を捕らえて凱旋したものと勘違いし門を開いてしまう。存孝は五鳳楼前まで進み、周囲の壮麗さから長安城外ではないと気づく。

黄巢は火災の様子を見に来ていたところへ存孝の乱入を知り仰天し、群臣は「討伐は不可能、招安して高官を与えるほかない」と進言する。黄巢自ら存孝に帰順と高官の授与を持ちかけるが、存孝は答えず、部下に時間稼ぎの会話をさせている間に弓を構え、黄巢の平天冠を狙って射る(詩:五鳳楼前での存孝の武勇を詠む)。矢は冠に命中し、黄巢は驚倒して昏倒するが一命は取り留める。目覚めた黄巢は激怒し、各城門に兵一万・健将十人を増派して存孝の捕縛を厳命した。

二将の帰順と脱出

黄巢がなお生きていると知った存孝主従は、寡兵ゆえ夜明け前の脱出を図る。途中、李罕之と傅存審の二将に行く手を阻まれる。存孝は李罕之の鉄棒を受け止め、逆にその手首を痛めつけて棒を奪い、桶の輪のように曲げて捨てる。二将は存孝の武勇に感服して下馬し帰順を申し出、存孝は義兄弟の礼をもってこれを受け入れ、曲げた鉄棒を手で伸ばして返した(詩:存孝の武勇と天佑を詠む)。二将の兵三千を合わせ、存孝一行は光泰門へ向かい、閉ざされた鎖を素手で打ち砕いて脱出した。

鄧天王の捕縛と放免

脱出の途上、黄桑店で鄧天王の軍に阻まれる。かつて離間の計を仕掛けた張本人と知った存孝は激怒し、対峙して一撃で鄧天王を捕らえる。鄧天王は斬首を前に号泣するが、それは死を恐れてではなく、八十歳の老母を養いきれぬこと、そして武芸が未熟なまま敗れたことを悔やんでのことだと語る。存孝はこれに情を感じ、黄巢に与せず曹州に帰って老母に仕え武芸を磨くよう諭し、鄧天王を放免した。

晋王本隊の進軍と黄巢の親征準備

一方、晋王は存孝が葛従周の陣を破り長安へ追撃したとの報を受け、周徳威と協議のうえ全軍二十七鎮諸侯を率いて黄河を渡り、霸陵川に進軍して存孝の動静を待った。存孝も六将・三千の兵とともに黄桑店から霸陵川へ至り、晋王に合流。これまでの戦功(耿彪ら四将討伐、長蛇の陣突破、張権討伐、魏南三県・潼関・霸陵川の奪取、長安突入、永豊倉焼却、赤鬼馬の獲得、黄珪討伐、正陽門突破、黄巢への一箭、二将の帰順、光泰門突破、鄧天王捕縛)を報告すると、諸侯は「これぞ紛れもない大功」と称え、晋王は大いに喜び祝宴を催した。

黄巢の親征決定

長安に逃げ帰った黄巢は憂懼し、尚讓・斉克讓・傅景祥・傅道昭・辺彦随・柳彦璋・葛従周ら文武百官を集めて対策を協議する。葛従周は「晋王軍は霸陵川で連日酒宴に耽り軍紀が緩んでいる」との情報を踏まえ、黄巢自ら大軍を率いて夜襲を仕掛ける策を献じ、黄巢はこれを容れて十万の兵を発し親征に赴く。

出立の際、黄衣の道士が現れ「かつて借りた宝剣を返せ」と黄巢を呼び止める。黄巢が捕縛を命じると、道士は杖で黄巢を打ち倒し、風のごとく姿を消す。目覚めた黄巢は腰の混唐宝剣が失われているのに気づき激怒し、側近数人を殺害する。それでも行軍を続け、一日三十里の緩行で英気を養いつつ霸陵川へと向かった(詩:道士による宝剣の奪還を天罰の予兆として詠む)。

評語

卓吾子曰く、火をもって黄珪を焼き、矢をもって黄巢の冠を射抜いたその勇猛は言うまでもなく、傅存審・李罕之を降して義兄弟の契りを結び、鄧天王を放って老母を養わせたことは、まさに孝義を兼ね備えた行いであり、深く敬服し羨むべきである。