殘唐五代史演義傳第十六回 周徳威、力を尽くし存孝を救う (周德威力救存孝)

黄河をはさんでの布陣

晋王は、黄巢方の総管・葛従周が四十八万の兵を率いて黄河西岸に陣を敷いたとの報を受け、四十五万の番漢兵と二十七鎮の諸侯軍を率いて黄河に迫った。周徳威の進言により、晋王軍は東岸に陣を張り、兵を渡河させて戦うことにした。晋王は周徳威と李存孝に五百の精鋭を付けて黄河の様子を見させる。晋王自ら黄河の激流を望み、詩に感懐を託した(詩:黄河の雄大さと険しさを詠む)。

晋王は李嗣源・康君利・李従信らに命じ、諸侯の兵一万を率いて黄河を渡り、賊軍南側に対陣させた。また存孝には安休休・薛阿檀・薛鉄山・賀黒虎を付け、一万の兵で賊軍北側に対陣させた。

鄧天王の離間計

哨戒からの報せで、存孝がすでに彭白虎を生け捕り、班翻浪を討ち、孟絶海を捕らえたと知った葛従周は驚愕する。将の耿彪は勇に頼らぬ策を説くが、五軍都救応の鄧天王が「借刀殺人」の計を献策する。夜半、鄧天王配下の兵が存孝の名を騙って「父王は功に報いず不当な扱いをする、反逆する」と偽って李嗣源の陣を襲い騒乱を起こす計略であった。

その夜、鄧天王は自ら偽装した兵を率いて李嗣源の陣を急襲し、混乱に乗じて「存孝謀反」と叫ばせた。将兵は動揺して黄河を渡って晋王の元へ逃げ帰った。北側の存孝の陣にも騒ぎが伝わったが、存孝は軽挙を戒め、夜明けを待つよう指示した。鄧天王は計略の成功を従周に報告し、糧秣調達を口実に自陣を離れて身を隠した。

存孝への誤解と周徳威の弁護

翌朝、存孝は南側の陣が賊軍に襲われ多数の死者が出ているのを見て慟哭し、事情を確かめるべく黄河を渡って晋王に報告に向かう。李嗣源から事の次第を聞いた晋王のもとへ、かねて存孝を妬む康君利・李従信が「存孝が謀反した」と讒言し、晋王は激怒する。存孝が参上し「知罪ではないか」と問われると、彼は自陣が救援に間に合わなかったことを指すと思い「罪を知っている」と答えてしまい、晋王は激怒して斬罪を命じかける(詩:讒言により忠臣が危うく殺されかけたことを詠む)。

周徳威が「一時の怒りで大将を殺すべきではない、事実を確かめてから処断すべき」と諫め、晋王は思い直して存孝を呼び戻し問いただす。存孝は謀反の意志は無く、自陣が救援できなかったことを「知罪」と答えたに過ぎないと釈明。周徳威は鄧天王の離間策に晋王が危うく乗せられるところだったと指摘し、真偽を確かめるため存孝を一時陣中に留め、密偵を賊陣へ送って探らせることを進言した。

李嗣源の偵察と挑発

晋王は李嗣源に兵を与えて黄河を渡り、賊陣前で挑発させる。葛従周配下の耿彪が応じて出陣し、李嗣源と対峙。李嗣源は「存孝を陥れる離間策を仕掛けたのはお前の陣営の誰か」と探りを入れると、耿彪はうかつにも鄧天王の計略であったことを白状してしまう。李嗣源はこれにより敵の計略が露見したことを告げ、逆に「賺将計」に嵌めたと言い放つ。耿彪は激怒して斬りかかり、両者の勝敗は次回に持ち越される。

評語

卓吾子曰く、もし鄧天王の計がそのまま成功していれば、存孝は無実の罪で殺され、唐の天子が都に帰る日も無かったであろう。