楊家將演義第五十回 楊宗保が西夏を平定し、十二婦が勝って朝廷に帰る (楊宗保平定西夏 十二婦得勝回朝)
連州城攻防
金花公主は九妹と一騎討ちし、敗走を装って誘い込んだが、楊七姐の矢を受けて討ち死にした。続く戦いでは武将・張栄(号「鉄臂将」)が出陣し、単陽公主を追い詰めるも、杜夫人の飛刀に討たれた。相次ぐ敗戦に李穆王は自害を考えるが、左丞・柯自仙の諫めにより、宋への降伏を決意し降伏文書を送った。
西番の降伏と楊宗保の凱旋
宗保は当初迷うが、鄧文の勧めで降伏を受け入れた。李穆王は自ら宗保・周夫人らを城へ迎え、盛大な宴を開いて歓待した。数日後、宗保は帰還を決め、李穆王が贈った物品のうち帯のみを受け取り、残りは朝廷に献上することとし、捕虜(百花公主を除く)を返還して西番の地を去った。
軍の帰路を祝う詞(宋の威勢と楊家女将たちの戦功を讃える内容)が挿まれる。
汴京帰還後、真宗は宗保をねぎらい、宗保は平定した領地・人口・物資を報告した。真宗は楊家の女将たちの功を賞し、宗保を上柱国大将軍、呼延顕らを節度使、周夫人を忠国副将軍、八娘・九妹らを翊運副将軍にそれぞれ封じ、宮中で祝宴を催した。
宗保は無佞府に戻って令婆に挨拶し、令婆は百花公主を楊文広(当時十五歳)に嫁がせることとした。文広は南方平定の功をあげてのちに叙任されることとなる。こうして四方は平穏となり、宋室の太平が望まれるところとなった。