楊家將演義第四十一回 楊延朗が密かに糧草を助け、八娘子が番兵と大戦する (楊延朗暗助糧草 八娘子大戰番兵)
谷中の八王ら、脱出を図る
八王と十人の宋朝重臣たちは九龍飛虎谷に閉じ込められ、進退窮まっていた。寇準は動揺せず様子を見ることを説き、孟良は隙を見て谷口を抜け、三関へ救援を求めに走ると申し出た。八王はこれを容れ、守りを固めて様子を見ることにした。
遼側の動き
包囲を指揮する耶律學古は、部将張猛の勧めで蕭太后に増援を要請する。蕭太后は群臣と諮り、木易駙馬(実は楊延朗の変名)を保駕先鋒に任じ、女真・西番・沙陀・黒水四国の兵十万を率いさせて九龍飛虎谷へ向かわせた。到着後、耶律學古と木易はそれぞれ正北・西南に陣を分けて宋の重臣たちを包囲する構えを取った。
木易の密書と孟良の脱出
木易は夜、密かに糧食二十車を谷の南に用意した旨をしたためた矢文を谷内へ射込む。これを拾った孟良が八王に届けると、八王は喜び、孟良に糧食の受け取りを命じた。孟良は無事に糧を運び入れたのち、単身谷を抜けて救援要請に向かうが、途中で敵の哨兵に捕らえられ、木易の前に連行される。木易は孟良と気づきつつも、表向きは叱責して見逃し、孟良は虎口を脱した。
孟良、五台山と三関へ
孟良は五台山に楊五郎(僧形の楊延德)を訪ね、十大朝臣が谷に囲まれている急を告げて助力を求める。楊五郎は渋りながらも八王の顔を立てて寺の僧兵千余人を率いて出陣する。孟良はさらに三関へ走り六使(楊延昭)に事態を報告、六使は自ら援軍を発する一方、孟良に上京して真宗へ奏上させた。
宋の援軍出陣と激戦
真宗は事態を知り、呼延贊を監軍、楊宗保を先鋒として五万の兵を発した。宗保は無佞府で令婆に暇乞いし、八娘・九妹も同行することになった。孟良を先手、宗保を中軍、呼延贊を後詰として九龍飛虎谷へ進軍する。
戦端が開かれると、楊五郎は女真国王胡杰、西番国駙馬王黒虎、黒水国王王必達らに包囲され苦戦するが、八娘・九妹・楊宗保の一隊が駆けつけて形勢を逆転させる。八娘は王必達と渡り合い、九妹が加勢して必達を追い詰めるところを呼延贊が生け捕る。孟良は沙陀国の陳深を一撃で斬り、八娘は投げ縄で胡杰を捕らえ、楊五郎配下の僧兵が王黒虎の馬を斬り倒して捕縛する。
蕭太后の敗走
耶律學古は四国の将がことごとく捕らえられたことを知り、蕭太后に急report、太后は単騎で陣を捨てて逃げる。楊宗保が追撃するなか、楊六使の軍にも行く手を阻まれ、蕭太后は自刃しようとするが、耶律學古と張猛に諫められ、僻路から邠谷を目指して落ち延びていった。