楊家將演義第二十回 六使が沛京で御状を訴え、王欽が八王を陥れる (六使沛京告御狀 王欽定計圖八王)

楊延昭の登聞鼓と訴状

楊延昭は登聞鼓を打ち鳴らして直訴し、提獄官の審理を経て訴状が太宗の御前に届いた。訴状は、父・楊業が忠勤を尽くしながら潘仁美の私怨によって援軍を絶たれ陳家谷で全滅させられたこと、弟・延嗣が理不尽に射殺されたこと、それらを仁美が隠蔽して逆に讒言していることを訴える内容だった。

太宗が心を痛める中、折しも潘仁美からも「楊業父子は功を貪って失機した」とする上奏が届き、双方の言い分が対立した。潘仁美の義兄にあたる南台御史黄玉は延昭を処刑すべきと奏上するが、八王は楊業父子の功績を挙げてこれに反対し、潘仁美を拘束して事実関係を調べるよう求めた。太宗はこれに従い、参知政事の傅鼎臣に取り調べを命じた。

賄賂発覚と真相究明

傅鼎臣は潘仁美らを尋問するが、仁美は非を認めなかった。そこへ潘家から賄賂(黄金百両・玉帯一条)を届ける使いが来て、鼎臣はこれを受け取ってしまう。この動きを察知していた八王は使いの女を捕らえて自白させ、鼎臣の収賄を暴いて太宗に報告した。太宗は鼎臣を罷免して庶民に落とし、代わって公正で知られる西台御史李済に審理を命じた。

李済は仁美・劉君其・秦昭慶・米教練らを尋問し、仁美は依然として非を認めなかったが、拷問により他の三名が陥謀と延嗣射殺の経緯を自白した。太宗はこれを聞いて激怒し、八王の進言により、仁美は死罪を減じて庶民に落とし、劉君其ら三名は辺地への流罪、延昭は職務上の失態により配所送りと処分が決まった。(詩:悪事を働いた者への報いを詠む)

その後、寇準の進言により太宗は楊業父子の功を惜しみ、延昭を鄭州の配所から呼び戻すよう命じた。

趙普の死と皇太子問題

武勝軍節度使・趙普が没し、太宗はその忠勤と功績を悼んだ。趙普は若い頃学問に乏しかったが太祖の勧めで読書に励み、「論語二十篇の半分で太祖の天下平定を助け、半分で陛下の太平を助けた」との逸話を持つ人物であった。

太宗は在位が長いにもかかわらず皇太子を定めておらず、馮拯らが早期の立太子を求めたが太宗は怒って彼らを嶺南に左遷し、以後この件を口にする者はいなくなった。

七王と王欽の陰謀

七王は側近の王欽に、太宗が八王へ皇位を譲ろうとしているのではと疑念を漏らす。王欽は「その通りであれば由々しきこと」と同調し、八王暗殺を献策する。鴛鴦の形をした酒壺(毒酒と美酒を同時に注ぎ分けられる仕掛け)を作らせ、花見の宴に八王を招いて毒殺する計略を立てた。壺を作らせた銀職人は口封じのため酔わせて井戸に投げ込み殺害した。

七王は八王を後苑の宴に招き、翌日八王は招きに応じて訪れた。酒宴の席で七王が鴛鴦壺の毒酒を勧めようとした瞬間、突風が吹いて杯が倒れ酒がこぼれ、辺りに毒々しい光が走った。異変を察した八王は早々に辞去して帰邸した。計略は失敗に終わり、七王は落胆し、王欽は「気づかれてはいない、また機会を図ろう」と慰めた。