東周列國志第九十一回 燕噲が国を譲り兵を招き、張儀が地を献ずると偽り楚を欺く (學讓國燕噲召兵 偽獻地張儀欺楚)
秦の合従切り崩し
- 蘇秦が六国合従を成立させると秦惠文王は動揺。相国公孫衍は「まず盟主の趙を攻めよ」と献策するが、蘇秦への恩義を感じる張儀は「六国はまだ結束が固い、近くの魏に厚く賂して切り崩し、遠い燕とは婚姻を結ぶのがよい」と反対の策を進言。惠文王はこれを容れ、魏へ城を返還して講和し、燕とも縁組みして合従を弱体化させた。
- 趙王に責められた蘇秦は燕へ赴く。折しも齊が燕の喪に乗じて十城を奪っていたため、蘇秦は齊へ赴き弁舌で十城を燕へ返させた。しかし燕易王の母・文夫人と密通し発覚を恐れた蘇秦は、燕相国子之と縁組みして地歩を固めつつ、燕王に「反間の計」を申し出て偽って燕を追われ齊に亡命、齊宣王の客卿となった。
- 蘇秦は齊で田猟や賦斂を勧めて宣王を惑わし国政を乱そうとしたが、諫言する田嬰・孟軻は聞き入れられなかった。宣王没後、子の湣王が立ち、当初は善政を行った。
張儀の魏・楚工作
- 張儀は蘇秦が趙を去り合従が緩んだと見て、魏への約束の割譲を反故にし、秦軍で魏の蒲陽を攻略。しかしその後城を返還し人質を送るなど恩を売り、魏に少梁の地を献上させて秦との友好を深めさせた。これにより張儀は公孫衍に代わり秦の相国となった。
- 楚では新王懐王が即位。張儀はかつての和氏の璧の冤罪を晴らす書を送り、懐王は昭陽を詰問。昭陽は恥じて病死した。懐王は張儀の秦重用を警戒し、蘇秦の合従策を継続。張儀は秦相の印を返上して自ら魏へ赴き、魏襄王の相国となって「魏は地理上秦に服属すべき」と説くが、決断できずにいる間に秦を魏へ差し向けさせ、魏軍を大敗させて曲沃を奪わせた。魏襄王は怒って合従を強め、懐王が従約長に推された。
孟嘗君の登場
- 齊相国田嬰の死後、賤妾の子ながら才知で認められた田文(孟嘗君)が薛公を継いだ。食客を身分問わず厚遇し、食事の差別を疑った客が自ら誤解を恥じて自刎するほどの評判となり、食客は数千人に及んで諸侯も畏敬した。
五国合従の失敗と蘇秦の死
- 魏襄王没後、楚懐王が秦討伐の兵を諸国に求め、韓・趙・燕も応じたが、齊では孟嘗君が「出兵はするが進軍を遅らせる」策を献じ、実質的に不戦に終わらせた。函谷関での対陣でも五国は足並みが揃わず、秦将樗里疾に兵糧道を断たれた楚が敗走し、諸国も撤兵した。齊湣王は蘇秦の策より孟嘗君の慎重策を評価するようになった。
- 蘇秦への寵愛を疑った齊の側近が刺客を放ち、蘇秦は瀕死の重傷を負う。蘇秦は死の間際、「自分の死体を市に晒し『燕のために齊で反間を働いた大罪人』と布告すれば、賞金目当てに真犯人が名乗り出る」と献策し、その通りに犯人一味が捕らえられた。後に蘇秦が燕のために齊で暗躍していた事実が露見し、湣王は燕との関係を悪化させたが、蘇代・蘇厲の弁で事なきを得た。
張儀の魏相就任と武王の即位
- 蘇秦の死を喜んだ張儀は魏哀王に取り入り秦との和睦を進めさせ、自らも秦相国に復帰した。
燕王噲の禅譲と齊による燕討伐
- 燕相国子之は燕王噲の怠惰に乗じて実権を握り、蘇代・鹿毛壽らの巧言により燕王噲は堯舜の禅譲になぞらえて太子平を廃し、国を子之に禅譲してしまった。将軍市被が反乱を起こすも敗死し、太子平は逃亡。齊湣王はこの混乱に乗じて匡章に十万の兵を率いさせ燕へ侵攻、燕の民は子之を恨んで抵抗せず齊軍を迎え入れた。子之は捕らえられ処刑され、燕王噲も自縊した。(周赧王元年の出来事)
- 齊が燕の宗廟を破壊し領土の大半を占領したため燕人の反感を買い、太子平(昭王)が擁立されて即位。趙武靈王の支援もあり、燕の諸邑は齊から離反して昭王のもとに復した。昭王は郭隗の「まず隗より始めよ」の故事(駿馬の骨を大金で買った故事)に従い賢士を厚遇し、易水のほとりに黄金台を築いて天下の賢者を招いた。劇辛・蘇代・鄒衍・屈景らが集った。
張儀の楚欺瞞と漢中の攻防
- 齊と結ぶ楚を切り崩すため、秦惠文王は張儀を楚へ送る。張儀は懐王の側近靳尚に賄賂を贈った上で、「齊との断交と引き換えに商於の地六百里を返還する」と偽りの約束をし、懐王はこれを信じて齊との国交を絶った。客卿陳軫は「秦は齊があってこそ楚を重んじる、齊と絶てば楚は孤立する」と諫めたが聞き入れられなかった。
- 秦から地を受け取りに来た逢侯丑に対し、張儀はけがを装って面会を引き延ばし、齊との断交が確定したのを見計らって「約束したのは自分の領地六里であって六百里ではない」としらを切った。激怒した懐王は秦に出兵するが、秦・齊の挟撃を受け大敗し、漢中の地六百里を失った。
- 楚は屈平を齊へ、陳軫を秦へ遣わして和睦を図り、秦は「商於の地と引き換えに黔中の地を求める」と提案するが、懐王は「土地ではなく張儀の身柄を差し出せば黔中を献上する」と要求した。
評語
- 髯翁の詩は「齊に仕えたと思えば燕に去り、魏の相となったと思えば秦から来る。合従連衡と道は違えど、いずれも人を欺く小人の才に過ぎない」という趣旨で、張儀の変わり身の早さと不誠実さを評する。
- 史官は蘇秦について、死してなお計を用いて仇を討った智謀を評価しつつ、二心を抱いた不忠の報いとして刺客に斃れたことを指摘する。『蘇秦讚』は「鬼谷に学び陰符を究めて合従連衡を成し六国の相印を帯びたが、最後は燕齊の間で節操を全うできなかった」という趣旨で締めくくる。