東周列國志第十七回 宋が賄賂を納れ長万を誅し、楚王が酒宴で息媯を虜にする (宋國納賂誅長萬 楚王杯酒虜息媯)
長勺敗戦の分析と乗邱の戦い
- 荘公が曹劌に長勺の勝因を尋ねると、曹劌は「気は一鼓で盛んになり三鼓で尽きる」という用兵の理と、敵の轍・旗を見て追撃の可否を判断したことを説明し、大夫に取り立てられた。
- 面目を失った桓公は鮑叔牙の献策で宋と結び、乾時と同じく主客の理で優位に立とうと魯を再攻。魯の公子偃は虎皮を馬に被せた奇襲で宋軍を混乱させ、荘公本隊と合わせて乗邱で宋軍を撃破、宋の勇将南宮長萬を生け捕りにした。
- その後斉の仲介で桓公は周に嫁取りの礼を求め、魯が主婚を務めたことで斉魯は和解。宋の水害を魯が見舞ったことから宋魯斉三国も和睦し、長萬は魯から宋へ帰された。
南宮長萬の弑逆
- 帰国した長萬は宋閔公に「もはやお前は魯の虜だった男」と侮辱され、恨みを抱く。閔公は蒙沢の遊びで長萬に博打を挑んで連敗させ辱め、さらに周への弔問使者の申し出も「囚人風情が」と嘲笑した。
- 激昂した長萬は酔いにまかせて閔公を博局で撲殺し、諫めに来た大夫仇牧も打ち殺し、太宰華督も殺害。閔公の従弟・公子游を新君に立て、旧公族を追放した。
宋の内乱と長萬の末路
- 追放された公族らは蕭・毫に拠って兵を集め、毫にいた公子御説(後の宋桓公)を擁して反撃、長萬の子・南宮牛を討ち、子游も誅殺されて御説が即位した。
- 長萬は老母を輦に乗せて自ら陳国へ逃れたが、宋の重賂を受けた陳の宣公が計略で長萬を酔わせて縛り上げ、宋に引き渡した。長萬と猛獲は市中で処刑され、老母も誅された。
斉桓公の内治とお家事情
- 長勺の敗戦以来、桓公は国政を管仲に委ね、宦官の豎貂や、我が子を殺して調理し桓公に献じた易牙らを寵愛するようになる。二人は管仲を妬んで讒言するが、桓公は「股肱の臣」として管仲への信頼を揺るがさなかった。
楚の勃興と息夫人の悲劇
- 楚の文王は漢陽の諸国を次々に服属させる中、蔡哀侯が妻の妹(息侯夫人・息媯)を蔡で無礼に扱ったことを恨みに思っていた息侯の策略により、楚に蔡を攻めさせ蔡侯を捕らえさせた。楚に対する諫言(鬻拳)で蔡侯は釈放されたが、その席で蔡侯は息媯の美貌を語って楚王の欲心を煽った。
- 楚王は巡遊を口実に息国を訪れ、息媯を酒宴に呼び出させて容色に驚嘆。翌日の宴で楚王は息侯を捕らえ、息媯を奪って夫人とした(桃花夫人の逸話)。息侯は幽閉先で憤死した。