東周列國志第四回 秦文公が夢に応じ、鄭荘公が地を掘り母に会う (秦文公郊天應夢 鄭莊公掘地見母)

東遷後の周と秦の勃興

  • 平王は洛陽に落ち着き、荊国以外の諸侯から朝賀を受ける。秦襄公は岐豊の犬戎討伐を任され、数年で犬戎を撃退して岐豊の地を得、大国となる。
  • (詩:岐豊の地がのちに秦の勃興の基となったことを詠む)
  • 秦の始祖は顓頊の裔で、皐陶・伯翳・造父などの由来が語られ、非子が周孝王に馬の飼育の功で秦の地を与えられて以来、代々秦伯となったことが述べられる。襄公の子文公の代となる。

文公の郊天と怪異

  • 文公は黄蛇の化身から白帝を祀るよう告げられる夢を見て、鄜畤に白帝廟を建てた。また陳倉で捕らえた怪獣「蝟」の話から雉の精「陳寶」の由来が語られ、終南山の大梓の神を祀る怒特祠も建てられた。
  • 魯の恵公も周に倣って郊禘の礼を求め、平王が許さずとも僭用し、王室の権威はさらに衰えていく。
  • (詩2首:秦の僭祀と、秦・魯の僭上によって諸侯の権力簒奪が広がったことを詠む)

鄭荘公の即位と共叔段

  • 鄭の世子掘突は武公として即位し、東虢・鄶の地を併せて強大化する。武公の夫人姜氏は難産で生まれた長男寤生(後の荘公)を疎み、次男段を偏愛して後継にと望むが、武公は長幼の序を守り寤生を世子とする。
  • 荘公即位後、姜氏は段を京城に封じるよう強く求め、荘公はこれを容れる。段は「京城太叔」と呼ばれ、姜氏の勧めで密かに兵を蓄え、西鄙・北鄙を掌握し、さらに鄢・廩延を奪う。
  • 上卿公子呂は太叔誅殺を進言するが、荘公は「悪がまだ表面化していない」として動かず、あえて太叔を増長させ、みずから墓穴を掘らせる策を選ぶ。

太叔段の乱とその最期

  • 姜氏は太叔に挙兵の日を密書で伝えるが、公子呂の手勢に奪われ、荘公はこれを利用して太叔に偽の返書を送る。太叔が京城を出て鄭を襲おうとした隙に、公子呂が京城を奪取し、太叔の背信を布告する。
  • 動揺した太叔の軍は瓦解し、鄢へ、さらに共城へ逃げ込むが、荘公軍に攻められて自刎する。
  • (詩2首:太叔の末路と、荘公が意図的に弟を増長させ滅ぼしたことを批判する)

潁考叔の計と母子の再会

  • 荘公は母姜氏を潁に追放し「黄泉に至るまで会わない」と誓うが、後に悔いる。潁谷の封人・潁考叔は鶚(母を食う不孝の鳥)の話で荘公を諭し、地下に泉の湧く室を掘って「地下(黄泉)で会う」形にすることで誓いを破らずに母子を再会させる案を献じる。荘公はこれに従い、地室で姜氏と涙の対面を果たし、以後母子として睦まじく暮らした。
  • (詩:潁考叔の機知を讃える)
  • 荘公は潁考叔に大夫の位を与えた。

衛の出兵

  • 太叔段の子公孫滑は衛に逃れ、伯父荘公の非道を訴える。衛の桓公はこれに応じて鄭討伐の兵を起こす。