唐史演義第八十九回 猛将を易え進みて交趾城を克つ/義友を得て徐州の賊を夾攻す (易猛將進克交趾城 得義友夾攻徐州賊)

康承訓の失態と高駢の登用

  • 康承訓は嶺南西道節度使として南詔に大敗しながら勝利を偽って報告し、後に更迭される。
  • 高駢が安南都護に任じられて南征するが、監軍李維周との不和により虚偽の報告をされ更迭されかける。部下の機転で真相が朝廷に伝わり、留任が決まる。

交趾城の奪還

  • 高駢は峰州で蛮軍を破って交趾城を包囲し、守将段酋遷を討ち取って三万余を斃し、城を奪還する。
  • 安南に静海軍が新設され、高駢が節度使に任じられる。南詔・吐蕃双方が退潮し、西南の辺境は一時安定を見る。

懿宗の遊興と龐勛の乱の発端

  • 懿宗は宴遊・音楽にふけり、楽人李可及を将軍に取り立てるなど放縦な統治を続ける。
  • 桂州に長期駐屯していた戍卒(もと徐州出身)が都将を殺害して龐勛を主将に反乱を起こし、徐州への北帰を強行する。淮南節度使令狐綯は諫言を無視して放置し、賊勢を増大させてしまう。

龐勛の徐州占領

  • 龐勛軍は宿州を陥落させ、徐泗観察使崔彦曾配下の元密軍を撃破する。
  • 徐州城も陥落し崔彦曾は殺害される。龐勛は留後を自称し、朝廷に節鉞を求める上表を出す。

泗州攻防と辛讜の義挙

  • 泗州刺史杜慆は龐勛配下の攻撃をよく防ぐ。侠客辛讜が杜慆と生死を共にすると誓って入城し、淮南への救援要請に奔走する。
  • 動こうとしない監軍郭厚本を辛讜が身を挺して説得し、五百人の援軍を得て泗州の危機を救う。

評語

  • 高駢の交趾回復は将才によるものであり、李維周・王晏権のような凡愚に任せていれば安南は失われていたであろうと評す。龐勛の乱は令狐綯の姑息な対応が拡大を招いたと批判する。辛讜の義侠は郭解・朱家にも劣らぬ忠義であるとし、篤志の士を鼓舞する話として結んでいる。