唐史演義第六十四回 逆使を叱し顔真卿節に抗す/叛帥を撃ち段秀実忠を尽くす (叱逆使顏真卿抗節 擊叛帥段秀實盡忠)
李希烈の反逆
梁崇義討伐の功で驕った李希烈は許州に進駐したまま兵を進めず、密かに李納と結んで汴州を狙い、河南都統の李勉を警戒させた。朱滔らとも通じ、田悦の要請を受けて自ら建興王・天下都元帥を称するに至る。配下の李克誠は汝州を陥落させ、捕らえられた別駕の李元平は恐怖のあまり醜態をさらし、希烈に嘲笑されて放免された。
顔真卿の使命と抗節
李希烈がさらに尉氏・鄭州へ侵攻すると、盧杞は「儒者の重臣を遣わして道理を説けば戦わずして勝てる」として顔真卿の派遣を進言した。実はこれは、かつて自分を非難した顔真卿を死地に追いやる盧杞の私怨によるものであった。真卿は「君命は避けられない」として家族に別れを告げ、単身許州へ赴いた。李勉は真卿の派遣に反対する上表を送ったが間に合わなかった。希烈の陣営では養子の少年たちに刃を突きつけられても真卿は動じず、希烈本人を厳しく詰問した。朱滔・王武俊・田悦・李納の四人が使者を送って希烈に帝位を勧めると、真卿は「これは四凶であって四王ではない」と一喝、宰相就任を勧められても顔杲卿(自分の兄で賊に殺された忠臣)の名を挙げて節義を守る決意を示した。希烈は真卿を坑殺すると脅したが、真卿は「死生は定まっている、一剣を与えよ」と平然と応じ、希烈はかえって謝罪した。
官軍の反撃と希烈の後退
左龍武大将軍の哥舒曜が汝州を奪還し、曹王皋も希烈軍を破って黄州・蘄州を制圧した。希烈配下の周曾らは密かに李勉に通じて反旗を翻そうとしたが露見して殺され、鄭州を囲んでいた軍も撤退した。希烈は許州から蔡州へ後退し、真卿は龍興寺に幽閉された。荊南節度使の張伯儀が安州で敗れ、節を奪われたと聞いた真卿は号泣して倒れ、以後言葉を発しなくなった。希烈は表向き謝罪しつつ朱滔と通じて援軍を求めたが、朱滔は李晟との戦いに手一杯で、王武俊とも不和が生じていた。李抱真の参謀・賈林は偽りの投降で王武俊に近づき、朝廷の和解の意志を伝え、武俊は帰順への含みを見せた。
陸贄の諫言
李希烈が襄城を包囲し哥舒曜が籠城する中、翰林学士の陸贄は「京畿の兵力を空にして遠征を重ねるのは本末転倒であり、討伐すべき四鎮の首謀者は既にほぼ討たれたのに叛乱がやまないのは、勢いの安危が人心にあるからだ」と説き、神策軍を都に呼び戻し、辺境の防備に専念させ、間架税など苛税を廃止するよう上疏した。しかし徳宗はこれを迂遠な意見として退け、逆に李勉らに襄城救援を急がせた。李勉の計った許州奇襲策も中使の横槍で失敗し、援軍は李希烈軍に大敗、東都まで震撼する事態となった。
涇原兵の変
十月、東征のため入京した涇原節度使姚令言の兵五千は、雨中の行軍で疲弊した末、粗末な食事しか与えられなかったことに激怒し、宮中の財宝を求めて反乱、長安になだれ込んだ。徳宗は普王誼らを送って慰撫させようとしたが失敗し、召集した禁兵も名ばかりで誰も集まらず、徳宗はやむなく王貴妃・韋淑妃・太子らと共に後苑から脱出、奉天へ落ち延びた(御璽は貴妃が咄嗟に持ち出した)。姜公輔は「朱泚を伴わなければ乱軍に擁立される恐れがある」と進言したが、徳宗は急を優先して顧みなかった。
朱泚の僭称と段秀実の忠死
乱軍は姚令言の主導で、京師に留め置かれていた朱泚(弟・朱滔の反逆に連座して兵権を失っていた)を主将に推戴した。朱泚は皇帝の不在に乗じて権知六軍を称し、告示を出して官吏を集めた。京師の百官は次々と奉天へ逃れ、盧杞らも徳宗のもとに合流した。徳宗は渾瑊を都虞侯に任じ諸道の援軍を求めたが、盧杞はなお「朱泚は忠貞の士」と弁護し、事態を見誤った。実際には光禄卿の源休が符命を捏造して朱泚に帝位を勧め、李忠臣・張光晟らが朱泚に従った。かつて兵権を失っていた段秀実も強引に呼び出されたが、内心は朱泚打倒を図り、劉海賓・何明禮・岐霊岳らと密謀。朱泚が奉天急襲のため涇原兵馬使韓旻に精鋭を出させると、秀実は姚令言の割符を偽造して韓旻を呼び戻させ、奉天陥落の危機を未然に防いだ。この際、岐霊岳は正体を明かして糾弾したため朱泚に斬られた。朱泚が帝位就任を諮る場で、源休が臣下のように振る舞うのを見た秀実は激昂し、源休の笏を奪って朱泚に投げつけ、額に傷を負わせた。取り押さえられた秀実は「士は殺されても辱められない」と叫び、その場で斬殺された。朱泚は「これは義士だ、殺すな」と言ったが既に手遅れであった。
評語
顔真卿は李希烈の脅迫に屈せず、四国の使者を叱りつけてその義声は千古に伝わる。朱泚が京師を奪うと、今度は段秀実が密かに逆賊誅殺を謀り、笏を奪って撃つも成らず、その忠烈に並ぶ者はない。唐室に人材がなかったわけではなく、徳宗が奸佞を信用し忠良を遠ざけたことこそ誤りである。もし陸贄の諫言に従っていれば、涇原の兵変も奉天の危難も避けられたはずである。段秀実の奇策がなければ奉天も陥落し、徳宗の逃避行はさらに立ち行かなかったであろう。忠臣義士がむなしく命を捨てる様は、嘆かずにいられない。本回はまさに顔真卿・段秀実の合伝というべきものである。