唐史演義第五十六回 九節度、魚朝恩に制せらる/両叛将、李光弼に投降す (九節度受制魚朝恩 兩叛將投降李光弼)

史思明の帰順

太原で李光弼に敗れた史思明は范陽に退き、安慶緒から媯川王・范陽節度使に封じられるが、富を恃んで慶緒に服さなくなる。慶緒が刺客を送ろうとしたのを察知した思明は、判官狄仁智らの勧めもあり唐に投降。肅宗はこれを喜び、思明を帰義王に封じ、河北の諸州も次々に帰順した。

太子冊立と張鎬の失脚

肅宗は上皇と互いに尊号を贈り合い、張淑妃を皇后に、成王俶(豫と改名)を太子に立てる。宰相張鎬は史思明の帰順を疑い警戒を説くが容れられず罷免され、代わりに崔光遠が河南節度使となる。

烏承恩の内応失敗と史思明の再叛

李光弼は烏承恩を范陽副使として送り込み、内密に思明打倒を図らせるが計画は露見。承恩父子は思明に殺され、思明は唐廷に叛意を強める。肅宗は魚朝恩を観軍容使として九節度使(郭子儀・李光弼ら)の上に置き、指揮系統は混乱する。

鄴城包囲と相州の敗戦

郭子儀ら九節度は安慶緒を鄴城に包囲するが、魚朝恩の横槍で統一指揮がとれず長期戦となる。李嗣業は矢傷が元で陣没。史思明が救援に来ると、暴風により両軍とも大混乱に陥り、官軍は総崩れとなって各地へ退却した。郭子儀は東京を放棄し河陽を守る方針を採り、辛くも思明の攻撃を凌ぐ。

安慶緒の最期

史思明は和睦を装って安慶緒を陣中に招き、慶緒とその兄弟、孫孝哲・崔乾祐・高尚らを処刑した。思明は鄴城を接収し、范陽に戻って大燕皇帝を自称する。

李輔国の専横と汴州陥落

肅宗の下では張皇后と結んだ李輔国が権勢を振るい、李峴らが排斥される。史思明は南下して汴州を攻め、節度使許叔冀は戦わず降伏。東京留守の李光弼は東京を放棄して河陽に移り、防衛態勢を整える。

白孝德の武勇と河陽の攻防

河陽で賊将劉龍仙が挑発すると、裨将白孝德がわずかな手勢で単騎斬り込み龍仙を討ち取る功を挙げる。李光弼は牝馬で賊の良馬を誘引し奪う計略も用いた。さらに賊将高庭暉・李日越を心理戦で相次いで投降させ、諸将を感服させる。

河陽の決戦

史思明が再び河陽を攻めるが、李光弼は南城・中潬・北城で的確に指揮し、僕固懐恩らを督戦して賊軍を大破。周摯は敗走し、思明も逃げ去った。

評語

安禄山・史思明はともに狡猾で唐に叛いた者であり、帰順を安易に信じるべきではなかった。九節度に統一指揮を与えず魚朝恩や李輔国を重用した肅宗の判断が、相州の大敗を招いた。逆に河陽では李光弼が寡兵ながら大勝を収めており、専任と分掌の得失は明らかである。安慶緒が史思明に殺されたくだりは、賊党どうしの因果応報を描いて余韻が深い。