唐史演義第五十三回 君心を結び張良娣に歓暱す/逆報を受け安禄山刺死さる (結君心歡暱張良娣  受逆報刺死安祿山)

詩人たちの受難

唐代随一の詩人李白に続き、杜甫・王維も乱の中で苦難を経験した。杜甫は賊軍に捕らえられたが脱出し鳳翔へ走った。王維は仮病で賊への出仕を拒んだが強いて官を受けさせられ、雷海青の忠死に感じて詩を作った。この詩が後に肅宗に伝わり、弟の献官と引き換えに罪を免れた。

元帥人事と李泌の起用

李泌は建寧王李倓を元帥に推す肅宗を諫め、兄の広平王李俶(後の代宗)こそ元帥にふさわしいと説いた。李泌自身は白衣のまま行軍長史として実務の中枢を担い、軍務の裁決に深く関わった。

張良娣の専寵

肅宗の寵妃張良娣は、患難をともにした経緯もあって寵愛を集め、玄宗から下賜された豪奢な鞍飾りも李泌の諫言で撤去させられるなど、次第に李泌と対立していく。皇后冊立を望む肅宗に対し、李泌は「上皇の裁可を待つべき」と諫めて思いとどまらせた。

房琯の大敗

房琯は自ら志願して長安奪回に出陣したが、机上論に頼る側近を重用し、牛車を用いた旧式の戦法で陳濤斜の戦いに大敗、四万余の兵を失った。二度目の出陣も味方の裏切りで惨敗し、辛くも李光進に救われて彭原へ帰還した。

永王李璘の反乱と河北の苦戦

永王李璘は江陵で兵を集めて江東で独自に称帝的な動きを見せ、肅宗の帰蜀命令を拒んで挙兵。一方河北では史思明らが河間・景城などを陥落させ、饒陽の張興は最後まで抵抗し捕らえられて処刑された。

李泌の戦略構想

李泌は肅宗に対し、郭子儀・李光弼を軸に敵の主力を各所に釘付けにし、翌春には范陽を衝いて安禄山の本拠を覆す長期戦略を献策。肅宗はこれを了承し、建寧王に禁軍を統括させて北伐に備えさせた。

安慶緒による安禄山弑逆

安禄山は眼病を患い暴虐さを増し、寵妾段氏の子・慶恩を太子に立てようとしたため、正嫡の安慶緒は厳荘と謀り、宦官李猪児に命じて安禄山を刺殺させた。厳荘らは事実を隠して慶緒を太上皇に見せかけて即位させ、後に死を発表した。

評語

楊貴妃に続いて張良娣が唐室に禍をもたらした。張良娣は忠義めいた行動を見せて肅宗の寵愛を得たが、その実は陰険な策謀家であり、聡明とは言えない肅宗が惑わされたのも無理からぬことである。安禄山もまた寵妾の言に惑わされて廃嫡を図り、自ら破滅を招いた。「謀を婦人に及ぼせば死あるのみ」との古訓は、唐代の史実にもよく当てはまる。