唐史演義禄児を洗い中冓羞を貽す/幽怨を写し長門賦を擬す(49 洗祿兒中冓貽羞 寫幽怨長門擬賦)
安禄山、奚契丹討伐で戦功
李林甫は楊国忠と安禄山を重用した。両者ともそれぞれ楊貴妃の縁と李林甫への諂いによって取り立てられたものである。范陽節度使も兼ねた安禄山は、公主を降嫁させていた奚・契丹の両酋長が離反して公主を殺害すると、これを討って戦功をあげ、入朝を許された。
玄宗への謁見と韜晦の芸
禄山は太子に対しわざと拝礼せず「殿下とは何の官か存じません、陛下しか知りません」ととぼけてみせ、玄宗に朴訥な忠義者と誤解させた。さらに献上した鸚鵡が「貴妃娘娘」と発語するよう仕込み、楊貴妃にも謁見して「奇男子」と評されるなど、着々と寵愛を得ていく。
勤政楼の宴と義兄弟の契り
玄宗は勤政楼に禄山を招いて三夫人と同席させ、禄山は肥満の体で胡旋舞を披露して喝采を浴びた。「腹に何があるか」と問われ「ただ赤心のみ」と答えて玄宗を喜ばせ、楊銛・楊錡と義兄弟の契りを結び、虢国夫人らとも姉弟の礼を取った。さらに貴妃の前に跪いて「臣児、母妃に千歳を願う」と拝し、玄宗の寵愛は極まった。
鉄券授与と新第の造営
禄山は鉄券を賜り東平郡王に封ぜられ(節度使が王に封ぜられるのは彼が最初)、河北道採訪処置使として出鎮する一方、奚契丹の酋長を謀略で毒殺し戦功として報告した。玄宗は財を惜しまず豪華な新第を造らせ、宰相李林甫らを招いて宴を開かせた。林甫は表面は歓談しつつも鋭い皮肉で禄山を驚かせ、以後禄山は林甫を畏怖して敬った。
洗児の一件と貴妃との私通
貴妃は禄山を大きな襁褓に包んで「洗児」の戯れを演じ宮中で評判となった。この間、玄宗は虢国夫人に密かに手を出しており、貴妃が禄山にかまけている隙をついていたとされる。実際には貴妃と禄山も密通し、乳房に傷をつけられるほどの深い関係になっていたと語られる(杜甫の詩を引いて虢国夫人の淫行にも触れる)。
禄山の勢力拡大と河東節度使兼任
吉温は楊国忠から禄山側に転じて仲介役となり、禄山を宰相に推す代わりに己も引き立ててもらう密約を結んだ。玄宗は武人である禄山をそのまま宰相にはできず、代わりに河東節度使を兼任させた。禄山は吉温・張通儒・孫孝哲(禄山を「父」と慕った側近)ら腹心を集め、史思明・安守忠ら猛将、厳荘・高尚ら参謀を配して密かに謀反を企み始める。奚契丹への出兵では一時大敗するも、阿布思(李献忠)の投降した部衆を吸収して兵力を強めた。
李林甫の死と楊国忠の継承
王鉷兄弟の獄をめぐり李林甫と楊国忠は対立を深め、林甫は国忠を南詔討伐の劍南節度使に出そうとしたが、南詔遠征の失敗を機に国忠は逆に召還され、病篤い林甫の後事を託される形で宰相の座を継いだ。林甫の死後、国忠は安禄山を使嗾して林甫が阿布思と通謀していたと誣告させ、林甫は官爵剥奪・棺を暴いて屍を辱める処分を受け、子孫も流罪となった。国忠は権勢をふるい、官名も改め、賢者を気取る士人(張彖)に「泰山ではなく氷山」と評されて隠棲を選ばれる有様であった。
楊貴妃の荔枝と梅妃の《楼東賦》
玄宗は貴妃の望むままに嶺南から生の茘枝を早馬で運ばせるなど寵愛を尽くした。一方、上陽宮に置かれたままの梅妃は高力士に取り次ぎを頼み、漢の陳皇后の故事にならって《楼東賦》を作り玄宗に届けさせた。玄宗はこれを読んで旧情を思い出し珠を贈ったが、梅妃は受け取らず、さらに未練を詠んだ七言絶句を返した。玄宗がこれを読んでいたところへ、ある人物が奪い取る場面で本回は終わる。
評語
安禄山はただの肥満した胡人に過ぎず、容姿も才も無いにもかかわらず、大詐を大愚に見せかける手管だけで玄宗を欺いた。玄宗は色に耽って聡明を失い、貴妃もまた妬み深さゆえに彼を寵愛した。李林甫の死後に楊国忠が代わって権を握り、内には李林甫・楊国忠、後宮には梅妃と楊貴妃の確執が重なり、唐の乱の兆しが積み重なっていく様を描くとする。