唐史演義東宮を易え親しく御訓を授く/高麗を征し連ねて敵鋒を破る(第二 十回 易東宮親授御訓 征高麗連破敵鋒)
承乾廃太子の真相
- 太子承乾が廃されたのは、獄中の紇乾承基が承乾の謀反計画を密告したことによる。太宗は長孫無忌・房玄齢・蕭瑀・李世勣らに命じて糾明させ、事実と確認した。
- 太宗に呼び出された承乾は、泰に嫡位を奪われることへの不満から廷臣に唆されたと弁明し、泰が太子になるくらいなら死んでも恨む、と述べた。通事舎人の来済は「陛下が慈父として太子の天寿を全うさせてほしい」と進言し、太宗は承乾を庶人として幽閉するにとどめた。
- 一味の漢王元昌・侯君集・李安儼・趙節・杜荷らを取り調べ、元昌は自尽を命じられ、侯君集は娘婿の証言で罪が確定し、功績を惜しんだ太宗は涙ながらに処刑を見送った。刑場で君集は「二国を滅ぼした功に免じ、一子だけは残してほしい」と願い、太宗は妻子を嶺南へ流罪とするにとどめた。李安儼・趙節・杜荷は斬られ、張玄素・趙弘智・令狐徳棻らは諫言を怠ったとして除名されたが、しばしば諫めていた于志寧だけは罪を免れた。紇乾承基は密告の功により官爵を与えられた。
晋王治の立太子
- 承乾廃位後、魏王泰は孝行を装って太宗に取り入り、岑文本・劉洎らも泰の擁立を勧めたが、長孫無忌だけは晋王治を推した。太宗は「泰が『自分の子を殺してでも弟に位を譲る』と泣いて訴えた」ことに心を動かされていたが、褚遂良は「即位後にわが子を殺して弟に譲る君主などいない、先に晋王の身を保証すべき」と諫めた。
- 泰は晋王治に「お前は元昌と親しかったから累が及ぶのでは」と脅すような発言をし、これを知った太宗は泰の底意を見抜いた。太宗は長孫無忌・房玄齢・李世勣・褚遂良を呼び、自らも動揺のあまり自害の真似をする場面まで見せたが、無忌の求めに応じて晋王治の立太子を決断。百官の賛同も得て治を皇太子とし、大赦を行った。泰は禁錮され、無忌・房玄齢・蕭瑀・李世勣ら重臣が東宮の輔弼にあてられた。
承乾・泰のその後と太子治の教育
- 右庶子の杜正倫は密諭を漏らしたとして左遷され、魏徴の推挙にまつわる疑いも生じて、魏徴の碑文と子の縁談が取り消される事態となった。承乾は流刑地で病没し国公の礼で葬られ、泰も次第に爵位を落とされたのち濮王として世を去った。
- 太子治には太宗自ら日常の場面ごとに「稼穡の苦労を知れ」「馬の労苦を思え」「水は舟を載せもし覆しもする、民は水、君は舟」などと訓戒を与えた。太宗は治の柔弱さを案じて呉王恪への立太子替えも一時検討したが、長孫無忌の諫めで思いとどまった。
高麗出兵の発端
- 貞観十七年秋、新羅が高麗討伐の援軍を求めてきた。高麗は百済と結んで新羅を圧迫し、隋代から中国と衝突を繰り返してきた経緯があり、唐初は高祖・太宗がそれぞれ三国を冊封していたが、実態は互いに攻伐を続けていた。
- 高麗では権臣・泉蓋蘇文が国王高建武を殺害して甥の高蔵を擁立し、実権を握って百済と結び新羅を攻めた。新羅女王・善徳の求めに応じ太宗は高麗へ停戦を求める使者を送るが蓋蘇文はこれを拒絶。褚遂良は遠征の危険を説いて諫めたが、李世勣は「薛延陀の時のように機会を逃すな」と主戦論を述べ、太宗は親征を決意し、船と兵糧の準備、先遣隊の派遣を命じた。
高麗使者の処断と親征開始
- 高麗が貢納した白金を褚遂良が「春秋の郜鼎」に例えて諫めたことから、太宗は高麗使者を詰問して投獄し、正式に親征の詔を発した。褚遂良は猛将の派遣で足りると重ねて諫めたが聞き入れられず、太宗は房玄齢に留守を託して太子を伴い洛陽へ向かった。
- 途上、薛延陀の使者を退け、隋代の将・鄭元璹の慎重論も退けて出征を進める。張亮を平壤道行軍大総管、李世勣を遼東道行軍大総管とし、蓋蘇文の弑逆を糾弾する詔を発した。副留守・李大亮の急死の報に接しつつも、太宗は定州まで進み、太子に監国を命じて自ら遼東へ向かった。
遼東戦線の緒戦
- 尉遅敬徳は長安・洛陽の手薄さを案じて親征に反対したが聞き入れられず、自ら従軍した。李世勣は陽動で蓋平を急襲して大勝し、張亮の水軍も卑沙城を陥落させた。中書侍郎・岑文本は軍務の激務から幽州で急死した。
- 李世勣は遼東城を包囲し、江夏王道宗の援軍も加わって高延寿の援軍を撃退。太宗自ら土を運んで城濠を埋めるなど陣頭に立ち、南風に乗じて火攻めで遼東城を陥落させた。続く白岩城の戦いでは李思摩が負傷し、契苾何力も苦戦するが薛万備の活躍で救われ、最終的に白岩城主・孫代音が降伏した。
安市城の攻防と白袍将軍
- 高麗の援軍十五万を率いる高延寿・高恵真に対し、太宗は敵を誘い出す策を用いて阿史那社爾の偽装退却で敵を安市城近くまで誘い出し、李世勣・長孫無忌の別動隊と挟撃して大破した。この戦いで一人の白袍の将が方天戟を振るって奮戦し、太宗はその功を賞して游撃将軍に任じた(後の薛仁貴)。
- 章末は「この白袍の将が誰かは次回で明かす」という引きで結ばれる。
評語
- 魏王泰は嫡位を狙ったが、長孫無忌・褚遂良の諫めにより晋王治が立てられた。著者は、もし泰が立っていれば骨肉相食む惨事がむしろ早まっていた可能性を指摘し、太宗の判断を評価する。
- 一方、高麗親征については、蓋蘇文の弑逆を討つこと自体は正当だが、皇帝自らの遠征は出費と危険が大きすぎたとし、太宗の武略は非凡でも高麗を平らげ得なかったのは天意もあろうと述べ、事の是非を断定せず両論を併記する形で結んでいる。