唐史演義盛彦師、伏兵を設け叛徒を斃す/竇建徳、兵を興し逆賊を誅す(0007 第六回 盛彥師設伏斃叛徒 竇建德興兵誅逆賊)
桂陽公主と河東の攻防
- 高祖の娘桂陽公主の夫趙慈景が、独孤懐恩と共に蒲坂を攻めるが隋将堯君素に敗れ戦死する。公主は高祖に訴えるが、高祖は世民に蒲州攻略を命じるにとどめる。
- 堯君素は妻の説得にも降らず籠城を続けるが、兵糧が尽きて部下の薛宗に殺され、その首が唐に届く。後任の王行本も抵抗を続けるが、独孤懐恩は劉武周に通じる不審な動きを見せ、最終的に捕らえられ処刑、王行本も敗れて斬首される。
- 桂陽公主はその後楊師道に再嫁し天寿を全うする。
李密の再叛と盛彦師の伏兵
- 唐に降った李密は待遇に不満を持ち、王伯当と共に山東遠征を願い出て許される。しかし出発後、密の叛意を疑う上奏があり、高祖は単身での帰還を命じる。
- 密は賈閏甫の諫めを聞かず、唐の使者を殺して詔書を破り捨て、桃林県で県令を殺害して倉庫を奪い、襄城の旧部下を頼って東へ向かう。
- 熊州の史万宝の下にいた盛彦師は、密が必ず熊耳山の谷道を通ると読み、伏兵で待ち構える。密と王伯当は谷を渡る途中で伏兵に襲われ、共に討たれる。密の挙兵からここまで六年であった。
徐世勣の忠義と羅芸の帰順
- 黎陽を守っていた徐世勣は、密の死を知ると喪に服して手厚く葬り、旧主への忠義から高祖に「純臣」と称えられ、李姓を賜り黎州総管・莱国公に封じられる。
- 幽州の羅芸は隋の忠臣として宇文化及の招きを拒み、竇建徳の軍も薛万均の伏兵策で撃退したのち、唐に帰順して幽州総管に任じられる。
竇建徳の来歴と宇文化及討伐
- 竇建徳は漳南の農民出身で、高士達の挙兵に加わり、後に自立して長楽王・夏王を称し、河北一帯を制圧する(羅芸戦のみ敗退)。
- 建徳は隋の弑逆者・宇文化及討伐を大義に掲げ、唐の李神通と先を争って魏県・聊城の化及を攻める。神通は功と財貨を独占しようとして降伏の機を逸し、逆に建徳に手柄を奪われる。
- 建徳は聊城を陥落させ、化及とその一族を捕らえて後に処刑。煬帝の霊前で化及配下五人を斬るが、蕭后には臣礼を尽くして丁重に扱う。
蕭后、突厥へ
- 蕭后は化及の宮中で贅沢に囲われていたが、建徳の質素な家風とは合わず、義成公主の迎えを受けて突厥へ赴く。突厥の由来(土門の伊利可汗以来の系譜、隋との通婚関係)が語られ、蕭后は処羅可汗の下で落ち着く。
- 建徳は東都に降伏を報告し夏主に封じられるが、まもなく隋主侗が毒殺される。
評語
本回は堯君素の忠義を対比の軸に李密の裏切りを描き、また羅芸の記述から竇建徳へ話を転じる構成の巧みさを評する。李密の再叛と宇文化及誅殺という二つの「叛徒」「逆賊」を並べつつ、史実の筆法として妥当かを問うている。