唐李問對六花陣法の由来
要約
太宗が、李靖の考案した六花陣は何を典拠とするかを問う。靖は、諸葛亮の八陣法を本としたと答え、大陣が小陣を包み大営が小営を包む入れ子の構造、隅々が鉤連し曲折して相対する古の陣制をそのまま図にしたところ、外側が方形、内側が円形の形となり、これが俗に六花と呼ばれるに至ったのだと説明する。
太宗が内円外方の意味を問うと、靖は、方は正兵に、円は奇兵にそれぞれ由来し、方形は歩兵の歩数を測る基準、円形は旋回の隊列を整える基準であって、歩数が地形に定まり隊列の運びが天の運行に応ずることで、変化してもなお乱れないのだと答える。
太宗がさらに歩法と手足の熟練の関係を問うと、靖は呉起の「絶っても離れず、退いても散らない」という言葉や、孫武の「地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず」という度量の理論を引き、地の遠近・地形の広狭を測ることの重要性を説く。
最後に靖は、六花陣を実際に運用する際の隊の間隔(隊列相互は十歩、駐隊は前隊の二十歩後方)、角笛の合図による散開・槍を伏せての跪坐・太鼓による前進といった具体的な号令の運用、そして馬軍を背後から出して前を奇、後を正とし敵を誘い込む戦法までを詳述し、六花陣が奇正の変化をそのまま体現する陣法であることを結論づける。
現代語訳全文
- 太宗が言った。「朕は李勣と兵を論ずるに、多く卿の説と同じであるが、ただ勣はその出処を究めない。卿が制した六花陣法は、何の術より出たのか。」
- 靖が言った。「臣は諸葛亮の八陣法に本づいています。大陣は小陣を包み、大営は小営を包み、隅落鉤連し、曲折相い対する、古の制はこのようであります。臣はこれのために図を作り、これに因りました。故に外に方を画き、内に円を環らせ、これが六花を成す、俗にこう号するだけです。」
- 太宗が言った。「内は円で外は方とは、どういうことか。」
- 靖が言った。「方は正より生じ、円は奇より生じます。方はその歩を矩とし、円はその旋を綴じる所以です。それゆえ、歩数は地に定まり、行綴は天に応じます。歩が定まり綴が斉えば、変化しても乱れません。八陣が六となったのは、武侯の旧法であります。」
- 太宗が言った。「方を画いて歩を見せ、円を点じて兵を見せる。歩は足法を教え、兵は手法を教える、手足が便利であれば、思うに半ばを過ぎているか。」
- 靖が言った。「呉起は言います、『絶っても離れず、却いても散らず』と。これは歩法であります。士を教えるは、なお盤に棋を布くが如く、もし画路が無ければ、棋はどうして用いられましょうか。孫武は言います、『地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ずる。勝兵は鎰を以て銖を称るが如く、敗兵は銖を以て鎰を称るが如し』と。皆、地の遠近、国の広狭を度量することから起こります。」
- 太宗が言った。「深いことよ、孫武の言葉は。地の遠近、形の広狭を度らなければ、どうしてその節を制することができようか。」
- 靖が言った。「庸将はその節を知る者が少ないです。『善く戦う者は、その勢は険しく、その節は短い。勢は彍弩に加え、節は発機の如し』と。臣はその術を修めます。すべて隊を立てるに、相去ること各々十歩、駐隊は前隊を去ること二十歩、隔ごとに一隊、一戦隊を立てます。前進するに五十歩を以て節とし、角を一声すれば、諸隊は皆散り立ち、十歩の内を過ぎません。第四の角声に至って、槍を籠めて跪坐します。ここにおいてこれを鼓し、三たび呼び三たび撃ち、三十歩より五十歩まで、以て敵の変を制します。馬軍は背より出て、また五十歩、時に臨んで節止します。前は正、後は奇、敵がどうするかを観ます。再びこれを鼓せば、前は奇、後は正となり、また敵を邀えて来させ、隙を伺って虚を擣きます。この六花は、大率皆このようであります。」