唐李問對卷下

  • 要旨: 太宗と李靖の問答形式で、虚実・治力の理論、伍法や六花陣など具体的な陣法・教練の方法、陰陽術数の存廃、厳刑と恩愛の順序、そして間諜・主客の理論など、実戦・統率の具体論を幅広く論じる。

虚実の理論と「致人而不致於人」

  • 太宗が『孫子』十三篇の中でも虚実篇が最も要諦であるとし、諸将が「実を避けて虚を撃つ」とは言えても実戦で虚実を見分けられないのは、敵を誘い出す(致人)のではなく敵に誘われてしまうからだと指摘する。
  • 李靖は、まず奇正相変の術を教え、その上で虚実の形を説くべきだとし、奇正を理解しない将には虚実の判別もできないと述べる。太宗は奇正を我が方が定め、虚実を敵の状態と捉える整理を示し、李靖は結局「千言万句は『致人而不致於人(人を誘い、人に誘われない)』の一句に尽きる」とまとめる。

瑤池都護の蕃漢兵の処置

  • 太宗が瑤池都督設置に伴う蕃漢混成軍の処置を問うと、李靖は蕃漢に本来の区別はなく、恩信と衣食で撫育すれば漢人同然になるとし、漢の戍卒は内地に移して食糧負担を減らし、蕃情に通じた漢吏を要塞に配置して平時を保ち、有事には予備兵力を出す方策を提案する。

治力の法(近待遠・佚待労・飽待飢の応用)

  • 『孫子』の「治力」の要諦を問われ、李靖は「近をもって遠を待ち、佚をもって労を待ち、飽をもって飢を待つ」という原則を敷衍し、誘いをもって来るを待つ、静をもって躁を待つ、重をもって軽を待つ、厳をもって懈を待つ、治をもって乱を待つ、守をもって攻を待つという六つの応用を示す。

教閲の三段階

  • 新兵の訓練法を問われ、李靖は伍法の確立、軍校による十・百単位への拡大、裨将による陣図への統合という三段階の教練を示し、大将軍がこれを検分し、奇正を分別して誓約と罰則を伴う大規模な閲兵を行うべきだとする。

伍法の要点

  • 伍法(五人一組の編成)の諸説を問われ、李靖は『春秋左氏伝』『司馬法』『尉繚子』などを引きつつ、五人・二十五人・七十五人と段階的に拡大する編成(歩卒七十二人・甲士三人の制)を説明し、三百人を正、六十人を奇として左右均等に配する原則を示す。穰苴の「五人を伍とし、十伍を隊とする」制が今も踏襲されていると述べる。

六花陣法の由来

  • 太宗の問いに対し、李靖は自らの考案した六花陣が諸葛亮の八陣法に基づくものであり、大陣が小陣を、大営が小営を包む入れ子構造で、外側を方形、内側を円形に描くことから「六花」と俗称されると説明する。方は正から、円は奇から生まれ、方は歩の基準、円は旋回の基準であるとし、地に応じた歩数と天に応じた旋回の配列によって、八陣が六花に整理された変化形であると述べる。

陣形の具体的な運用(隊の間隔・角声の合図)

  • 陣形の運用について、李靖は『孫子』の「地は度を生じ、度は量を生じ…」という言葉を引きつつ、隊の間隔(立隊は十歩ごと、駐隊は前隊から二十歩)や角声による合図(前進・散開・跪坐・鼓による突撃)の具体的な手順を説明し、前が正で後が奇、あるいはその逆に転じる運用を六花陣の基本原理として述べる。

曹操「新書」の表法批判と破陣楽舞

  • 曹操『新書』の「戦の前に標を立て、標に向かって布陣し、援護しない部隊は斬る」という法について問われ、李靖はこれを実戦向きではなく教練用の方法にすぎないと批判し、真に用兵に長けた者は正のみを教え奇は教えず、衆を羊の群れのように自在に動かすものだと述べる。
  • さらに太宗自身が制作した「破陣楽舞」が前に四表、後ろに八旛を配し、左右の旋回や歩調・鉦鼓の節に古の八陣図(四頭八尾の制)を体現していることを指摘し、世人はその軍事的な意味を知らずに見ていると述べる。太宗はこれに満足し、後世に自らの意図が伝わることを喜ぶ。

隊の分合と旗の合図

  • 太宗が方色の五旗を正、旛麾(指令旗)による折衝を奇とする区分について問うと、李靖は三隊・五隊・十隊の結合に応じて旗を交差させる合図の方法と、角の合図による分散・結合の切り替えを説明し、最終的に四頭八尾の陣形に帰着させる運用を述べる。

戦騎・陷騎・遊騎の運用

  • 曹操の「戦騎・陷騎・遊騎」の分類が現在の騎兵編成とどう対応するかを問われ、李靖は前後中の三隊に分ける古制を踏まえつつ、後世の人が誤って戦騎を常に先頭に置くと誤解していると指摘し、自らは回軍転陣の際に遊騎を前、戦騎を後、陷騎を状況に応じて配置する運用をしていると述べる。太宗はこれに笑って同意する。

車・歩・騎の統一運用

  • 車・歩・騎の三者が一つの法であるかを問われ、李靖は『春秋』の魚麗の陣(車歩のみで防御主体)と晋の荀吳の毀車為行(騎兵中心で奇勝主体)とを対比し、自らは一騎を三人に相当させて車歩と統合する運用を行い、敵に自軍の構成を測らせないことこそ要諦だと述べる。

太公の画地の法と六花陣の面積

  • 太公書にある「地を六百歩あるいは六十歩に区切り十二辰を表す」方法について問われ、李靖は千二百歩四方を区切り、一部あたり二十歩四方に人員を配する具体的な数値(横五歩に一人、縦四歩に一人で二千五百人、五方に分けて空地を残す=陣間容陳)を示し、周の武王の牧野の戦いにおける虎賁の配置を例に挙げる。
  • 続けて六花陣の規模を問われ、千二百歩四方を六陣に分け、各陣が四百歩を占め、東西両廂に分かれ中央千二百歩を教練の場とする自身の実践(三万の兵を五千ずつ、営・方・円・曲・直・鋭の五形に変化させる訓練)を説明する。

五行陣の実質

  • 五行陣(方・円・曲・直・鋭)について問われ、李靖はこれが五方の色にちなむ名称に過ぎず、実質は地形に応じた運用であり、兵は詭道であるためにあえて五行の名を借りているに過ぎないと述べる。兵の形は水のように地形に応じて流れを変えるものだとする。

牝牡・方円・伏兵の法

  • 李勣の言う「牝牡・方円・伏兵の法」の古の由来を問われ、李靖は牝牡の法が俗伝に過ぎず、実質は陰陽の理であるとし、范蠡の「後には陰を用い、先には陽を用いる」「右を牝、左を牡とし、時に応じて用いる」という言葉を引き、左右・早晩・奇正がそれぞれ人・天・天人相変の陰陽に対応すると説明する。伏兵についても、山谷や草木に隠れることに限らず、正を山のように、奇を雷のようにして敵に測らせないことこそ本質だと述べる。

四獣の陣と五音(商羽徴角)への配当

  • 四獣の陣や商・羽・徴・角の配当について問われ、李靖はこれも詭道であるとし、廃止すれば別の詭道が増えるだけであり、これらの名称・配当を残しておくことで、それ以上の欺瞞の手段が生まれるのを防げると説明する。太宗はこれを秘するよう命じる。

厳刑と恩愛の順序

  • 太宗が厳刑によって兵に敵より自分を畏れさせる統率に疑問を呈し、光武帝が刑法によらず王莽の大軍を破った例を挙げると、李靖は勝敗は状況によって様々であり一概に論じられないとし、光武の勝利は人心が王莽を怨んでいたことや、王尋・王邑が兵法に暗かったことによるものだと分析する。『孫子』の「士がまだ心服していないのに罰すれば服さず、既に心服しているのに罰を行わなければ用いられない」を引き、まず愛情によって結びつけてから厳刑を用いるべきだと説く。
  • 『尚書』の「威が愛に勝てば事は成り、愛が威に勝てば功はない」という言葉についても、愛を先に、威を後に設けるべきであり、順序を逆にしてはならないと説明する。

蕭銑平定における「文能附衆、武能威敵」

  • 太宗が蕭銑平定の際、諸将が偽臣の家財を没収して兵に分け与えようとしたのを李靖一人が止め、蒯通が漢に殺されなかった故事に倣ったことで江漢の民が帰順した経緯に触れ、「文をもって衆を懐け、武をもって敵を威す」との評を与える。李靖は光武帝が赤眉討伐で示した誠意の例や、自らの突厥討伐で無用な処刑を避け至公を貫いたことを挙げ、謙遜しつつ応える。

唐儉を死間としたのかという疑問

  • 太宗が突厥への使者・唐儉を李靖が結果的に死地に追いやったのではという世評を尋ねると、李靖は唐儉が説得に成功しないと見込んで攻撃を決断したのであり、小さな義理より大局を優先したのだと弁明する。『孫子』の用間篇にある間諜利用は下策であるとし、正しく君に仕える者に対して間諜を用いる余地はないと述べ、唐儉を死間として利用した意図は否定する。太宗はこれに納得し、周公の大義滅親を引いて疑いを解く。

主客・速久の理論

  • 兵は主(迎え撃つ側)であることを貴び客(遠征する側)であることを貴ばず、速戦を貴び長期戦を貴ばないという原則について問われ、李靖は『孫子』の「遠くへ輸送すれば民は貧しくなる」「兵役を二度徴発せず、糧食を三度運ばない」を引き、主客・遅速の立場を入れ替える術(敵地で兵糧を調達して客を主に変える、敵を飽から飢えへ、佚から労へと追い込んで主を客に変える)を説明する。
  • 越が呉を討った際、左右軍で太鼓を鳴らして注意を引きつつ中軍が密かに渡河して奇襲した例、石勒が姫澹の遠征軍を伏兵で挟撃した例を挙げ、主客の転換の実例とする。

鉄蒺藜・行馬について

  • 太公が考案したとされる鉄蒺藜・行馬(防御用の障害物)について問われ、李靖はこれらはあくまで敵を防ぐための道具に過ぎず、兵の本旨は敵を誘い出すことにあり、太公『六韜』に記される守備用の道具であって攻撃戦には用いないものだと説明する。