- 要旨: 太宗と李靖の問答形式で、陰陽術数の扱い方、兵の分合、攻守一体の理論、士気の運用、歴代の将帥(漢高祖・光武帝ら)の評価、そして兵法を道・天地・将法の三段階に分けて論じる。
丘墓・険阻の地の扱いと陰陽術数への戒め
- 太公・孫子がいずれも丘墓・険阻の地を避けるべきとする一方、李靖は用兵の要は将兵の心を一つにし禁忌や疑いを取り除くことにあるとし、地形そのものが不便でなければ丘墓・故城も利用してよいと説く。太宗はこれに同意し、陰陽の禁忌にとらわれる将を戒めるよう命じる。
- 李靖は『尉繚子』の「黄帝は徳と刑によって天下を治めたのであり、天官・時日によるのではない」を引き、詭道(敵を欺く術)としては陰陽の説を用いてもよいが、それを実体として信じ込むべきではないと説く。
兵の分合の巧拙
- 太宗が兵を分けることと集めることの適否について問うと、李靖は苻堅が百万の大軍を集めながら淝水で敗れたのは兵を分けきれなかった例、吳漢が公孫述討伐で副将と分屯しつつ機を見て合流し大破した例を挙げ、太公の「分けるべきときに分けられなければ縻軍(つながれた軍)となり、集めるべきときに集められなければ孤旅となる」という言葉を引く。
- 太宗は、苻堅が王猛の死後に敗れたことと、光武帝が吳漢に遠隔から干渉しなかったために蜀を平定できたことを、それぞれ縻軍・孤旅を避けた実例として位置づける。
「多方以誤之」という用兵の要諦
- 太宗が兵法の要諦を「多方以誤之(多様な手段で敵を誤らせる)」の一句に集約されると述べると、李靖はこれに同意し、敵に誤りがなければこちらが勝つことはできず、勝敗はしばしば一手の誤りに由来すると説く。
攻守一体の理論
- 太宗が攻めと守りが同じ一つの法であるかを問い、『孫子』の「善く攻める者は敵にその守るところを知らせず、善く守る者は敵にその攻めるところを知らせない」という言葉を引く。
- 李靖は『孫子』の「勝てない場合は守り、勝てる場合は攻める」という原則を説明し、後世の人が「守は不足、攻は有余」という言葉を強弱の意味と誤解していると指摘する。太宗はこれを受け、守りの要は敵に不足を見せること、攻めの要は敵に余裕を見せることにあり、攻守は本来一体であると結論づける。李靖はこの理解を「聖人の法」と称賛する。
「攻其心」「守吾気」
- 『司馬法』の「国が大きくても戦を好めば必ず滅び、天下が平らかでも戦を忘れれば必ず危うい」という言葉も攻守一体の道理かと問われ、李靖は攻めとは城や陣を撃つだけでなく敵の心を攻める術を含み、守りとは城壁や陣を固めるだけでなく自軍の士気を保って好機を待つことだと説く。攻其心(敵を知る)と守吾気(己を知る)がそれぞれ知彼・知己に対応するとする。
士気の運用(朝気・昼気・暮気)
- 『孫子』の「朝の気は鋭く、昼の気は怠り、暮れの気は尽きる。善く用兵する者は敵の鋭気を避け、その怠り尽きた気を撃つ」を問われ、李靖は生き物が命を賭して争えるのは気の作用であるとし、呉起の「四機」でも気機を最上に置くと説明する。「朝気」とは時刻そのものを指すのではなく、一日の推移全体の比喩であり、太鼓を三度打っても敵の気が衰えなければ、機械的に朝夕で判断してはならないと戒める。
李勣の処遇をめぐる進言
- 太宗が李勣を将来太子(治)にどう統御させるべきか問うと、李靖はあえて一度李勣を退け、太子に改めて登用させることで恩義を感じさせるべきだと進言し、太宗はこれに同意する。
長孫無忌への評価
- 李勣と長孫無忌に国政を任せた場合を問われ、李靖は李勣の忠義は保証できるとする一方、長孫無忌は表向き謙虚だが内心で賢者を嫉む性向があり、尉遅敬德や侯君集との軋轢の背景にもそれがあると指摘する。太宗はこの話を口外しないよう命じる。
漢高祖・光武帝の「将将」の評価
- 漢高祖が功臣(韓信・彭越・蕭何)を粛清したことについて、李靖は劉邦・項羽ともに真に「将を将する(将たちを統御する)」君主ではなく、天下取りは張良・蕭何ら個々の思惑と功績によるものだったと分析する。
- 一方、光武帝は前構(前政権の基盤)を継いだとはいえ功臣を保全し、柔和な統治で臣下の信頼を得た点で、将将の道においては高祖よりも優れていたと評する。
出師の礼をめぐる問答
- 太宗が古の出師拝将の礼(斎戒し鉞・斧を授け、車輪を推して全権を委ねる儀礼)が廃れたことに触れ、新たな儀礼を定めたいと相談する。李靖は現行の出征前に廟に告げ大臣と議論する慣行、任命後は将に便宜従事させる慣行が、古礼の趣旨(神威を借りることと権限の委任)と実質的に一致しているとし、あえて新たに定める必要はないと答える。太宗はこれを記録させ後世の規範とする。
陰陽術数の存廃論
- 太宗が陰陽術数を廃止すべきか問うと、李靖は兵とは詭道であり、貪欲な者や愚かな者を動かす手段として陰陽術数はなお必要だと答える。
- 太宗が「天官・時日を明将は法とせず、暗愚な将のみがこれに拘泥する」という李靖のかつての言葉を引いて廃止を促すと、李靖は殷の紂と周の武王がともに甲子日に興亡したにもかかわらず結果が正反対だった例、宋の武帝が「往亡日」に出兵してあえて敵を破った例、田単が神を偽って燕を破った例などを挙げ、術数はあくまで詭道の一種として使い分けるべきものだと説明する。
- さらに田単の「神懸かりを装う」やり方と太公望の「蓍亀(占い)を焼き捨てて武王に従軍を促した」逆の対応が同じ理屈(機微をつかむ)に由来すると説き、術数を廃さない理由はその機微を人に見せぬためであり、成否は結局は人事にあると結論づける。
現在の将帥(李勣・道宗・薛萬徹)の評価
- 太宗が現存の将帥の中で誰が大用に堪えるか問うと、李靖は太宗自身の言葉を引きつつ、李勣・道宗は大勝も大敗もしない「節制の兵」であり、薛萬徹は大勝か大敗のいずれかに偏る「僥倖による成功」の類だと評し、『孫子』の「善戦者は不敗の地に立ち敵の敗れを逃さない」という言葉を引いて節制の重要性を説く。
両軍対峙時の不戦・必戦の理論
- 両陣が対峙して戦わずに退くことがあるかと問われ、李靖は晋秦の交戦例と『司馬法』の「奔るものを遠く追わず、退くものに追いつかない」という言葉を引き、双方に統制があれば軽々しく戦端を開かないと説明する。『孫子』の「堂々たる陣を撃つな、正々たる旗に向かうな」を引き、不戦は我が方の統制に、必戦は敵の状況にかかっていると整理する。
兵法を纂述する約束
- 太宗が歴代の節制に優れた事例を図にまとめるよう命じ、李靖は既に進めた黄帝・太公の陣図や『司馬法』、諸葛亮の奇正の法を整えつつ、これまで史官が兵事に疎く実相が伝わっていないことを惜しみ、改めて纂述を約束する。
兵法の三段階(道・天地・将法)
- 太宗が兵法の中で何が最も深遠かを問うと、李靖は「道」「天地」「将法」の三段階を示す。道は至微至深で『易』の「聡明叡智、神武にして殺さず」に通じ、天地は陰陽と険易を活かす術で『孟子』の「天の時、地の利」に対応し、将法は人材登用と武具の充実にあり『三略』の「士を得る者は昌える」『管子』の「武器は堅利であるべし」に通じるとする。
- 太宗は「戦わずして人の兵を屈する」のが上、「百戦百勝」が中、「深く溝を掘り高く塁を築いて守る」のが下と自らの評価基準を示し、李靖は張良・范蠡・孫武を「道」の体現者、楽毅・管仲・諸葛亮を「天地」の体現者、王猛や謝安を「将法」の体現者として例示し、下から中、中から上へと段階的に学ぶべきだと結ぶ。
- 太宗は最後に「三世続けて将たる者を忌む」という道家の戒めに触れ、みだりに伝えぬよう李靖に慎重を求めたと記され、李靖はその兵法をすべて李勣に伝えたと結ばれる。