鐵冠圖全傳第五十回 虎賁三千にて四海を定め、九五に龍飛し万民を子とす (定四海虎賁三千 子萬民龍飛九五)
羅公山での最期
- 武昌府に至った李自成は羅公山に陣を敷く。山中には玄帝廟があり、周辺には四十万余の郷民が自衛のために武装していた。
- 李自成は単騎で山に登り、かつての破竹の勢いから今の凋落までを振り返り、術士・宋炯の予言が外れたことを恨みつつも、自らの悪行が招いた報いかとも思い至る。
- 玄帝廟に参拝した李自成は突然めまいを起こして倒れる。居合わせた郷民に取り押さえられ、かつて母を死に追いやった仇と見破られ、群衆に斬り殺されてしまう。
- 山を下った郷民は李自成の陣営にも攻め込み、残党の李過ら一万余人は逃げ場を失って河に身を投げて全滅する。
江南平定と論功行賞
- 清は五月一日に北京に入って民心を安定させ、親王大将軍を南京へ派遣。馬士英・黄得功らは戦死し、王鐸・銭謙益らは降伏、弘光帝は捕らえられて江南は平定される。
- 呉三桂は李自成討伐の戦功により雲南の王に封ぜられ、陳円円を迎えて赴任する。
張献忠の滅亡
- 張献忠は南京で敗れた後、武昌・長沙・成都と転戦しては殺戮を重ね、成都で「大西」を僭称し、蜀の士人を大量に殺害する。
- 部下の劉進忠は清軍に内応して成都を明け渡す。清の大軍は劉進忠の策により順慶府で張献忠を急襲し、隠れていたところを捕らえて京師へ護送、処刑する。順治三年のことであった。
結び(鉄冠図の解き明かし)
- 天下が治まり、鉄冠図の予言(「天下万万年」「一人披髪懸梁」「彩雲托天将」など)がことごとく的中したことが述べられ、流賊の興亡と明清交代の顛末が「鉄冠図」の名の由来として結ばれる。