隋文帝の評
- 公子は、隋の文帝は庶民から身を起こし、いち早く帝位(神器)を手にし、西は庸・蜀を平定し、南は江表(江南)を平らげたが、これは晋の武帝(司馬炎)と並べて論じられるかと問うた。
- 先生は答えた。隋の文帝は外戚という重い立場によって周室の衰えに乗じ、天命の図籍を負って宰相となり、ついに天命を受けて帝位についた。政治に心を尽くし、専ら恩恵を施すことに努めたので、新旧の民をよく安んじ、遠近を鎮めることができた。文武の制度もみな見るべきものがあった。江淮を平定し天下の書軌(制度)を統一するに及んで、天下の民は太平を待ち望んだ。しかし金陵(陳)を滅ぼし尽くしてからは、心が奢り驕るようになり、威は四海に及んでも、政務への情熱は衰えた。荊の璧(宝玉)は内府に満ち、呉の美女は後宮に溢れた。仁寿宮の装飾は殷紂王の傾宮に匹敵するほどで、万民の力は尽き果て、中流の家の財産も枯渇した。その上、猜疑心が起こり、巫蠱の事件が相次ぎ、愛する皇子の妃を殺し、宰相の母を引き離した。綱紀はすでに乱れ、礼教もまた廃れた。牝鶏(皇后)が朝に響き渡り、皇族は次々と絶たれた。罪なき者を廃黜し、ふさわしくない者を立て、功臣・良臣を余すところなく削り滅ぼした。晩年の過ちは晋の武帝よりも多く、国の命運が長く続かなかったのは、まさに天が滅ぼしたのだろうか。