周武帝の武才と器量
- 公子は、周武帝ほどの雄才と武芸を備え、自ら士卒の先頭に立つ人物であれば、もし天が寿命を与えていたなら、必ず天下を平定し一代の名君となれたのではないかと問うた。
- 先生は答えた。周武帝は勇猛果断で人並み外れた才略を持ち、身を低くして士を励まし、法令も厳明であった点では、句践や司馬穰苴も及ばないほどである。しかし、攻め取る計略では天下に聞こえたものの、仁愛の徳については天下に評判が立たなかった。これは猛将としての稀な才であって、人君としての器量ではない。
仏道二教廃止についての評
- 公子は、周武帝が仏教・道教の二つの教えを滅ぼしたことは正しかったのか、間違っていたのかと問うた。
- 先生は、間違っていたと答えた。
- 公子がその理由を尋ねた。
- 先生は答えた。仏教の教えは、空でありながら滞りなく、自己と他者の区別を忘れ、生死を超えて寂滅に帰す、この世を超えた教えである。老子の教えは、穀神は死なず、玄牝は永遠に存在し、長生久視を説き、龍に乗り鶴を駆るという、この世の内にある教えである。悪を止め仁を尊び、残虐を抑え殺生をやめさせる点では、いずれも王道の教化に益があり、世俗にも背かない。それなのに、今、僧が戒律を犯し道士が経典に背いたことをもって、その教え自体を棄てるべきだ、その言葉を絶つべきだと言うのは、たとえば檮杌(悪人)を責めて堯を廃し、有窮氏(羿)を怨んで禹を退けるようなものであり、また瓠子の氾濫を見て黄河の源を遠く塞ごうとしたり、崑崙山が日に向いているのを見て慌てて火種を投げ捨てたりするようなもので、水の潤す徳がやがては人の益になることを知らず、生臭さを変える働きの効用が実に広いことを知らないのと同じである。井の中の蛙が海を語るように見識が狭く、長い迷いの輪廻を繰り返し、自ら苦しみに沈む結果を招いている。学ぶ者を誤らせるものであり、まことに痛ましいことである。