帝王略論卷二 後漢世祖光武皇帝
史論
或る人が「夏の少康と漢の光武帝はいずれも中興の君であるが、どちらが優れているか」と問うた。虞世南は次のように答えた。この二人の帝はいずれも先代の事業を復興し王業を再興した点では名において同じだが、実質は異なる。光武帝の時代は、乱を思う民を頼みとして残虐な王莽を誅し、乱に乗じ滅びに乗じたのであって、功を成すのはやや容易であった。しかし少康は、夏氏が滅んで既に二代を経ており、身はまだ母の胎内にあるときから母は逃亡し、他国で生まれ、父の教えも受けず、身近に頼れる親族もいなかった。そうした乱世の苦難の中で身を潜め奮い立たせ、ついに天に配せられるほどの偉業を成し遂げた。中興の君としてはこちらを第一に挙げるべきである。
公子は「光武帝は中興の主として、漢の高祖に比べればどちらが優れているか」と問うた。先生は次のように答えた。論者によれば、高祖は豁達で度量が大きく、光武帝は物事に細やかで条理を尽くした。それぞれに美点があり、竜が飛び鳳が舞うがごとく、いずれも乱を治め民を救い塗炭の苦しみから引き上げることができた。帝者は師とともにあり、王者は友とともにあり、覇者は臣とともにあるという。漢の高祖の臣には三傑がおり、光武帝の輔佐には二十八将がいた。鄧禹・呉漢を張良・韓信に並べることはできない。しかし高祖の功臣は多くが強盛のゆえに誅滅されたのに対し、光武帝を助けた者は皆手厚い待遇のもと安全を保たれた。君臣の間柄という点では光武帝の方がまことに称賛に値する。長所を取り短所を補って考えれば、光武帝の方をやや下位に置くべきであろう。