帝王略論卷二 海昏侯

生涯

  • 昌邑王賀は昌邑哀王髆の子である。喪に赴いた当初、喉が痛むと称して哭泣しようとしなかった。道中では車に女子を乗せ、済陰に至っては長鳴鶏や精竹林を求めた。
  • 即位すると淫乱にふけり、侍中の君卿には黄金千斤を与えて十人の妻を娶らせた。昭帝の喪が前殿にある間に、賀は楽人を招き入れて鼓を打ち吹奏させ歌舞させ、□(底本欠字)を北宮に駆り立てた。豚を弄び獣を闘わせ、昭帝の宮人と姦通し、官奴と夜通し酒を飲んだ。
  • 在位はわずか二十七日で、その間に犯した不行跡は百二十七条に及んだ。侍中の縛嘉が諫めると、縛嘉は獄に繋がれた。
  • こうして霍光は賀を廃して海昏侯とし、武帝の玄孫の詢を立てた。これが宣帝である。

史論

公子は「漢の昌邑王の淫乱・暗愚ぶりは甚だしいが、桀・紂に比べられるか」と問うた。先生は次のように答えた。桀・紂はそれぞれ十年ほど帝位にあり、久しく南面して統治していたが、それでも悪が積み重なって暗愚に至り、害を百姓に及ぼすまでには時間を要した。昌邑は諸侯国の跡継ぎから天子の位に抜擢されたばかりであり、朽ちた縄で暴れ馬を御するようなものでなお及ばぬことを恐れるべき立場であった。まして父の喪服をまとい、棺がまだ殯にある間に、身は帝位にありながらわずか三十日も経たぬうちにこれほどの淫乱・放縦に沈んだ。もしそのまま中国を治める地位を長く保ち、狂暴のかぎりを尽くしていたなら、夏の桀・殷の紂もこれには及ばなかったであろう。