醉古堂劍掃巻一 醒(目覚めについての清言)(醉古堂劍掃 卷1 集醒)
- 松陵の陸紹珩(湘客)が選び、兄の陸紹琏(宗玉)が閲した。
- 中山の酒を飲めば一度の酔いが千日続くというが、今の世の人々は昏迷したまま日々を過ごし、酔わない日も酔わない人もない。名を追う者は朝廷で酔い、利を追う者は市井で酔い、豪奢な者は声色や車馬に酔い、天下はまさに酔いから醒めない天下となっている。どうにか一服の清涼剤を与え、人々に酔いを解かせたいという願いから、この「集醒」の巻を第一に置く。
才と徳、世渡りの心得
- 才を恃んで世を軽んじれば、陰で人を陥れる者を警戒せねばならず、厚顔を装って人を欺けば、心の底を見抜く鏡を恐れねばならない。
- 小人が豪傑を陥れると怪しむが、平然とそれを行うからこそ小人なのだと知るべきである。我々が世の試練に苦しむのを惜しむが、試練を経てこそ我々の真価が現れるのだと知るべきである。
- 花や柳が生い茂る場所でもかき分けて進めてこそ本当の手腕であり、風雨が激しいときにしっかり立っていられてこそ確かな足腰である。
- 淡泊を守る操は華やかな場でこそ試されるべきであり、落ち着いた態度は混乱の中でこそ確かめられるべきである。
- 恩を売るより徳に報いる方が厚く、名声を求めるより名を避ける方が心地よく、感情を偽るより率直な節義の方が真実である。
- 人前で褒められるより陰で謗られないことの方がよく、初対面で喜ばれるより長く付き合っても飽きられないことの方がよい。
- 人の悪を責めるときは厳しくしすぎず相手が受け止められるかを考え、人に善を教えるときは高望みせず従い得るかを考える。
- 人情に疎ければ世のすべてが険しい道に見え、物事の実情を察しなければ人生はすべて夢のようなものになる。
- 黙して語らぬ人物にはうかつに心を許さず、気位高く自負の強い者には言葉に用心すべきである。
- 冠の紐を整えるような悠長な態度は火急の場に用いてはならず、行儀作法にこだわる規範は生死に関わる救助の場に用いてはならない。
- 事を論じる者は当事者の外にいるからこそ利害を見極められ、事を実行する者は渦中にいるからこそ利害の思案を忘れるべきである。
- 倹約は美徳だが行き過ぎればけちとなって品位を損ない、譲ることは善行だが行き過ぎればへつらいとなって下心を疑われる。
- 巧みさを拙さの中に隠し、暗さを用いて明るさとし、清らかさを濁りに寓し、屈することを伸びる備えとする。
- 相手に徳を期待させず自分も恩を誇示しない、そうした関係だからこそ困窮の中の友情は長続きする。望みや欲が募れば、利害でつながる関係は必ず破綻する。
- 恨みは施した徳を誇示することから生まれるので、徳と恨みを共に忘れる方がよい。仇は受けた恩を意識させることから生まれるので、恩と仇を共に消し去る方がよい。
- 天が私の福を薄くするなら自らの徳を厚くして応じ、天が私の体を労するなら心を安らかにして補い、天が私の境遇を塞ぐなら自らの道を通じさせて開く。
- 淡泊な人物は華美を好む者から疑われ、身を慎み飾らない人は放埒な者から忌まれる。
- 事が行き詰まった人にはその初心を汲み、功を成し遂げ栄達した人にはその晩年の身の処し方を見るべきである。
- 好悪や賢愚をはっきりさせすぎると人や物と噛み合わなくなる。内には明晰さを保ち外には渾然とした寛大さを示してこそ、真に備わった徳量である。
- 弁が立って恨みを買うより口数少なく心を養う方がよく、交友を広げて名を求めるより独り静かに身を全うする方がよく、金をかけて事業を広げるより事を省いて倹約する方がよく、才を誇って妬まれるより才を隠して拙く見せる方がよい。
施し・恩義・世評
- 千金を費やして賢豪と交わるより、半瓢の粟を分けて飢えた人を救う方がよく、千の棟の屋敷を構えて客を招くより、数間の茅屋を修めて身寄りのない者を庇う方がよい。
- 恩は多寡によらず、困窮のときの一杯の水が命がけの報いを得ることがあり、怨みも深浅によらず、心を傷つけた一杯の羹が国を滅ぼす禍を招くことがある。
- 仕官の道が華やかでも常に隠棲の趣を思えば権勢への執着は自ずと軽くなり、世の中が煩雑でも常に死後を思えば利欲の心は自ずと薄れる。
- 満ち足りた状態にある者は溢れる寸前の水のようなもので、あと一滴も加えてはならず、危急にある者は折れかけた木のようなもので、あと一押しも加えてはならない。
- 心を澄まし事を終えるのは根を抜いて草が生えなくなるようなもの、世を逃れても名を捨てないのは臭みを残して虫が集まり続けるようなものである。
- 情は久しく続きにくいもので、情の深い人はかえって薄情に終わりやすく、性分には一定の常があるので、気ままな人もついには本性を失わない。
- 質素な草庵でも心安らかにいられる才子は玉堂に登る器であり、貧しい家でも心穏やかにいられる佳人は富貴の身に納まる器である。
- 人の噂を伝えたがる者とは深く語り合ってはならず、事を云々したがる者とは共に事を図ってはならない。
- 甘い言葉を語る者は多く是非を論じず、激した言葉を語る者は多く利害を顧みない。
- 真の廉潔には廉潔の評判がなく、評判を立てようとする者はかえって貪欲である。大いなる巧みさには巧みの跡がなく、技巧を弄する者はかえって拙劣である。
- 悪事をなして人に知られるのを恐れるうちは、まだ善心が残っている。善事をなして人に知られたがるのは、その時すでに悪の根がある。
- 山林の楽しみを語る者が必ずしも真にその趣を得ているとは限らず、名利の話を厭う者が必ずしも名利の情を忘れ切っているとは限らない。
- 冷めた目で熱狂を見て初めて、熱中する場に走ることの無益さが分かり、忙しさから閑暇に入って初めて、閑暇の味わいの深さが分かる。
- 貧しい士人が人を救うのは天性の恵みの発露であり、雑踏の中で学を篤くするのが本当の心の修養である。
- 長く伏せていた鳥は必ず高く飛び、真っ先に咲く花は必ず早く散る。
- 貪欲な者は身は富んでも心は貧しく、足るを知る者は身は貧しくても心は富む。高位にある者は身は安逸でも心は疲れ、下位にある者は身は苦労しても心は安らかである。
- 度量が広ければ、辺鄙な村里に住んでいても心の眺めは狭くならず、見識が乏しければ、大都会の真ん中にいても心は窮屈になる。
- 寸暇を惜しむ者にこそ千古を凌ぐ大志があり、微小な才を憐れむ者にこそ豪傑を鼓舞する心がある。
感慨・処世の逆説
- 感慨の極みはかえって笑いとなり、舞踊の極みはかえって嘆息となる。
- 天が人に禍しようとするときは、まず小さな福で驕らせてその受け止め方を見、天が人を福しようとするときは、まず小さな禍で戒めてその対処ぶりを見る。
- 書画が俗物の品評にさらされるのは三生にわたる大きな災難であり、鼎彝の名器が市井の商人にもてあそばれるのは千古の理不尽な冤罪である。
- 抜きん出た才は袋の中に入って初めてその鋭さが現れ、俗塵を離れた駿足は険しい道を走って初めてその真価が分かる。
- 華やかさに心を寄せれば見るものすべてが物足りなく感じられ、清らかさを本心とすれば触れるものすべてが俗塵として厭わしく感じられる。
- 情に厚い者とは美醜を論じ合ってはならず、義理に厚い者とは損得を論じ合ってはならない。気性の激しい者とは優劣を争ってはならず、興が高ぶりやすい者とは去就を定めてはならない。
- 世人のほころびは多くの場合その社交ぶりの中に現れ、非難されるべき点は多くの場合その愛着の深さの中に現れ、苦しい事情は多くの場合その執着の中に現れる。
- 情には尽くしきらない余韻を残せば味わいが深まり、興にも尽くしきらない余韻を残せば趣が増す。
- 富貴の人を礼儀正しく遇するのは難しくないが、その品格に見合った遇し方をするのは難しい。貧賤の人に恩恵を施すのは難しくないが、礼を尽くして遇するのは難しい。
- 山に隠棲するのは立派なことだが少しでも執着すれば俗世と変わらなくなり、書画の鑑賞は雅なことだが少しでも貪欲になれば商人と変わらなくなり、詩酒は楽しいことだが少しでも人に媚びれば地獄と変わらなくなり、客を好むのは豁達なことだが俗物に煩わされれば苦海と変わらなくなる。
修養・自省の要
- 書を二句多く読み、言葉を一句少なく発すれば、読んだ二行に見合うだけの言葉が語れるようになる。
- 中庸の人を見るときは大きな場面で崩れないかを見、豪傑を見るときは小さな場面で気を緩めないかを見る。
- 七分の真面目さを残して生を送り、三分の鈍さを残して死に備えるべきである。
- 財を軽んじれば人が集まり、己を律すれば人が服し、度量が広ければ人望を得、率先垂範すれば人を導ける。
- 迷いの深いところから迷いそのものを見極めれば、どこにいても目が醒め、放しがたいものを思い切って手放せば、あらゆる境地が広がる。
- 大事・難事に臨んでその人の担う力が分かり、逆境・順境でその人の器量が分かり、喜怒に接してその人の修養が分かり、集団の進退でその人の見識が分かる。
- 安詳は事に処する第一の法、謙退は身を保つ第一の法、寛容は人に接する第一の法、洒脱は心を養う第一の法である。
- 事に処するときは十分に考え急がずに事を進めるのが最善である。よく考えれば実情が分かり、急がなければ適切な処置ができる。人の耐えられない不快事に耐えてこそ、人の成し得ない功業を成せる。
- 軽々しく与えれば必ず濫りに求められ、簡単に人を信じれば必ず簡単に疑われる。
- 山のように善を積んでもまだ君子とは言えず、わずかな利を貪れば直ちに小人に堕ちる。
- 智者は運命と争わず、法と争わず、道理と争わず、権勢と争わない。
- 良心は夜の静けさの中でこそ清明であり、真情は粗末な食事の中でこそ現れる。人を問い詰めるより自ら省みさせ、人を攻めるより自ら露呈させる方がよい。
- 「俠」の一字は、昔は意気に加えられたが、今は散財に加えられる。その違いは気概と気骨の分かれ目にある。
- 耕さずして食い織らずして着る者が口先で是非を作り出す。閑な者ほど事を起こしたがるものだと知るべきである。
- 才ある人は世を経営し、能ある人は世を取り、明敏な人は世に処し、名を得た人は名を後世に垂れ、高潔な人は世を超え、達観した人は世を戯れに見る。世を欺く豪傑となるより、世に従う凡人であれ。
- 執着に囚われる病根は「恋」の一字にあり、状況に応じて円滑に処する妙は「耐」の一字にある。
- 天下に諂いを好まぬ人はいないから、へつらいの術は尽きることがなく、世間には人を謗る者が多いから、讒言の道は塞がれることがない。
- 善言を勧めるのも受けるのも、両側から進む船のようなもので、いずれ互いに接する。
名声・清福・生死観
- 清らかな幸福は天帝が惜しむものであり、忙しさに慣れることでその福を消してしまう。清らかな名声も天帝が忌むものであり、謗りを受けることでその名を消してしまう。
- 人を謗る者はひどく忙しく、謗られる者はかえって暇である。
- 柳の枝は秋を待たずして枯れるが、松柏の質は霜を経てますます茂る。
- 人が名節や文章や游俠を好むのは酒を好むのに似て、たやすく血気にはやらせる。徳性によってこれを鎮めるべきである。
- 閨房の噂を好み、乱れを嘲る者は必ず鬼神の怒りを買う。奇禍がなければ必ず奇窮に陥る。
- 神人の言葉は微妙で、聖人の言葉は簡潔で、賢人の言葉は明晰で、凡人の言葉は多く、小人の言葉は妄りである。
- 士君子が人を陶冶できないのは、結局のところ学問の力がまだ透徹していないからである。
- 一言で天地の和を傷つけ、一事で終身の福を損なうことがある。よくよく慎むべきである。
- 善言をよく受け入れられる人は、商人が利を積むように、少しずつ蓄えてついには富める者となる。
- 財産が多くとも、死に臨んで子孫の涙を少なくするだけで、あとは争いしか知らない。財産が少なくとも、死に臨んで子孫の涙を多くするだけで、あとは哀しみしか知らない。
- 読書は書物の中の要となる眼目を見出してこそ意味がある。
- 景色が調和しなければ心の昏迷を破れず、土地に気概がなければ盛んな会合を成せない。
- 一念の善には吉神が従い、一念の悪には悪鬼が従う。これを知れば鬼神をも使役できる。
- 元気を失った進士を一人出すより、陰徳を積んだ平民を一人出す方がよい。
- 瞼を閉じて夢に入れば意識さえ定まらないのに、目を落として死んでいく時にどうして分別などつこうか。
- 仏も一つの「悟り」であり、仙も一つの「悟り」であるが、聖人はその悟りにとらわれない。悟ったと知らぬことこそ真の悟りであり、悟ったと自覚した瞬間、それはもはや悟りではない。
酒・閑適・悟りの境地
- 万事は手にある一杯の酒に及ばず、一年に空を渡る月を幾度眺められようか。
- 憂いや疑いは杯に映る弓影を蛇と見誤るようなもの、眉を開いて忘れればよい。得失は夢の中の鹿を争うようなもの、両足を空しく忙しく動かすだけである。
- 名茶や美酒にはそれ自体の真の味がある。物好きが香料を加えて良しとするのは、高士や風流人が俗世の網に誤って落ちるのと変わらない。
- 花棚や石段に少し腰掛けてほろ酔いを楽しむ。歌は一人で低く歌うのがよく、茶は頻繁に苦味の強いものを飲むのがよい。
- よく黙する者こそ真に語る者であり、暗さを用いる者こそ真に明るく処する者であり、俗に混じる者こそ真に身を隠す者であり、心を安んじる者こそ真に境遇に適う者である。
- 山水を病のように愛する趣味も、煙霞に執着する癖もなくとも、山中の宰相のような心、天際の真人のような境地を識っておくべきである。
- 気を収めれば怒りが治まり、心を斂めれば言葉が簡潔になり、人を容れれば味わいが和らぎ、静けさを守れば天地の心が安らぐ。
- 事に処するときは思い切りが必要であり、心を保つときは寛やかさが必要であり、己を律するときは厳しさが必要であり、人と接するときは和やかさが必要である。
- 住まいに悪い隣人がいないとは限らず、集まりに損な友がいないとは限らないが、自らをよく持する者だけがどちらの場合もうまく凌げる。
- 自分が君子か小人かを知りたければ、夜明け前に自らを省み、何を思っているかを見ればよい。
- 富貴の家に貧しい親戚の出入りが絶えないのは、忠厚の証である。
- 朝廷にも市井にも山林にも、それぞれの事があるが、今の人が忙しくしている場所は、昔の人が閑としていた場所である。
- 人生において書物があり、読む暇があり、読む財力があり、そのうえで心を養える者は、たとえ文字を知らない者であっても真に善く読書する者と言える。世の清福の中でこれに勝るものはない。
- 世の中の事は尽きることがなく、関われば関わるほど片付かないと分かる。我々の時間は限りがあり、暇にすればするほど清らかな心境が見えてくる。
- 両刃が向かい合えば共に傷つき、両強が対峙すれば共に敗れる。
- 私が人を害さなければ人も私を害さない。人が私を害するのは、私が先に人を害したからである。
- 商人には義を語るべきでない、彼らは利に溺れているからである。農工には学問を語るべきでない、彼らは仕事に偏っているからである。俗儒には道を語るべきでない、彼らは言葉にとらわれているからである。
- 広く見聞を積めば見識が広がり、交わりを少なくすれば是非も少なくなる。
- 朝焼けは美しいが瞬く間に消え、流水は聞くに心地よいが耳を過ぎれば執着しない。美色を朝焼けのように見れば煩悩は自ずと軽くなり、音曲を流水のように聞けば心を害することもない。
- 自分が人に及ばないと嘆くな、自分より劣る者は常に多い。自分が人に勝ると誇るな、自分より優れた者はさらに多い。
- 人の心は勝ちを好むが、勝とうとすれば必ず敗れる。人情は謙虚を好むが、謙虚に処すればかえって勝つ。
- 天は人の富貴を禁じないが、人の清閑を禁じるという。それは人が自ら閑を得ないだけのことである。もし境遇に安んじ、将来を図らず、過去を追わず、目前を覆い隠さなければ、清閑を得られないはずがない。
- 暗室での正邪は誰も見ていないと思っても、忽ちにして万人の口の端に上る。自らの心の善悪は明らかで、四方を見張る神の裁きの前では厳粛である。
- 寒山の詩に「人が来て私を罵っても、私ははっきりとそれを知りながら、あえて言い返さない。それがかえって得なのだ」とある。この言葉はよくよく味わうべきである。
- 恩愛は自分にとって仇のようなものであり、富貴は身にとって重荷のようなものである。
- 馮驩の剣の柄を弾いて魚がないと嘆いた故事、荊軻の築を撃って涙を流した故事のように、境遇には常に嘆きが伴う。
- 患難の心で安楽に処し、貧賤の心で富貴に処すれば、どこに行っても安泰である。深い谷を思って平坦な道を歩き、病を思って健康な身を扱えば、どこにいても安らかである。
- 生前に称賛を得るより死後に非難されないことの方がよく、身に楽しみを得るより心に憂いがないことの方がよい。
- 富める時に倹約しないと貧しくなって悔い、若い時に学ばないと役立てる時に悔い、酔って放言すると醒めた時に悔い、健康を大事にしないと病んだ時に悔いる。
- 道理をもって言葉を聞けば心に主体が保たれ、道をもって欲を塞げば心は自ずと清らかになる。
- まず淡くしてから濃くし、まず疎くしてから親しくし、まず遠くしてから近づく、これが交友の道である。
- 苦しみの多い世にあっては意気を穏やかに保ち、欲望渦巻く場では心を冷静に保つべきである。
- 肉体さえ自分のものでないのに、まして肉体の外の余分なものはなおさらである。この大地さえ幻であるのに、まして大地の中の微塵のような存在はなおさらである。
- 人が混乱の中にいれば心の中の様相はどれほど堪え難いか、人が清らかな安寧の中にいれば目の前の景色はまるで違って見える。
- 静寂の中に常に目覚めがあれば静寂は乱れず、目覚めの中に常に静けさがあれば目覚めた思いも駆け巡らない。
- 子供は知恵が少ないが、少ないほどかえって完全であり、大人は知恵が多いが、多いほどかえって散漫になる。
日々の省察
- 何もない時には雑念がないかを考え、事がある時には粗雑な気負いがないかを考え、得意な時には驕った態度がないかを考え、失意の時には恨みがましい心がないかを考える。常にこう省みて、多くの雑念から少なくし、有から無へと近づけることこそ、真の学問の消息である。
- 筆は月単位で、墨は年単位で、硯は代を超えて用いられる。筆が最も鋭く、墨がこれに次ぎ、硯は鈍い。鈍いものほど長持ちし、鋭いものほど早く尽きるということではないか。筆は最も動き、墨がこれに次ぎ、硯は静かである。静かなものほど長持ちし、動くものほど早く尽きるということではないか。ここから養生の道が得られる。鈍さを本体とし、静けさを働きとしてこそ、長く生きられるのである。
- 貧賤の人は何一つ持たないので、命終わるときに「厭」の一字を脱ぎ捨てるだけで済む。富貴の人は何もかも持っているので、命終わるときに「恋」の一字を帯びたままである。厭を脱ぐのは重荷を下ろすようなものであり、恋を帯びるのは枷をかけられるようなものである。
- 名利の関門を透り抜けてこそ、小さな安らぎが得られ、生死の関門を透り抜けてこそ、大きな安らぎが得られる。
- 人が道を求めるなら、功名の場でひとしきり争って心を尽くし果てさせるべきである。これは実に真実の言葉である。
- 病が来て初めて無病の快さが分かり、事が起きて初めて無事の楽しさが分かる。だから病を治すより病を避け、事を片付けるより事を減らす方がよい。
- 貧しさを隠す者は貧しさによって死ぬ、勝ち気がそうさせるのである。病を隠す者は病によって死ぬ、恐れが心を覆うのである。愚かさを隠す者は愚かさによって死ぬ、痴心がそうさせるのである。
- 昔の人は市場に玉石を並べるように、良し悪しを隠さなかった。今の人は骨董を商人に売るように、真贋の見分けがつかない。
- 士大夫が徳を損なうのは、多くの場合、名を立てようとする心が急ぎすぎることによる。局外にいる者は、局中の事を軽々しく論じるべきではない。
- 気の短い者に沈着で強い見識はなく、恐れの多い者に卓越した見識はなく、欲の多い者に慷慨な節義はなく、口数の多い者に実直な心はなく、勇の多い者に文雅な素養はない。
- 胸中の茨を取り除いて人と自由に行き来できることこそ、天下第一の愉快な世界である。
- 古来の大聖大賢の議論も、針の先ほどの小事にすぎない。世の中の無駄口はすべて帳消しにしてよい。
- 筆を揮って心を慰めるなら、人に応じて書くより一人静かに座って書く方がよく、書状で心を伝えるなら、巧みに飾るより率直に述べる方がよく、碁で心を楽しませるなら、勝負にこだわるより膝を交えて語らう方がよく、談笑で心を通わせるなら、戯れて騒ぐより自由に歌う方がよい。
- 拙さの一字を守れば無数の過ちを免れ、閑の一字を得れば無数の便益を得る。
- 斑竹の簾越しに、私の道心はただ水のように清らかであり、黄粱の夢の中で、世事は氷のように冷ややかであってよい。世に留まるも世を出るも、機微を知り機を止めることが肝要である。
- 書画は柔らかな筆の芸事であるから、書を開き冊を広げるときはゆったりと構えるのがよく、詩文と酒は楽しみの場であるから、酒を酌み文を論じるときは寂しさを忌むべきである。
- 栄達や利益は造化がわざと人を弄ぶものであり、少しでも執着すれば足枷となる。
- 士人は世事のために読書を疎かにするのではなく、読書によって世事に通じるべきである。
- 天下の事には利と害が相半ばするが、全き利があって少しの害もないのは書物だけである。
- 筆を執る前に意を凝らし、伏羲の易の図を細かく参究する。知恵は歯の奥から生まれ、顔回が書斎で静かに座る姿を思わせる。
- 紅楼(歓楽の場)が墓標のない塚にすぎないと明らかに知れば、それを死地と見誤ることはなく、舞衣が密かに動く兵刃であると直ちに知れば、それを試し斬りの石とみなして速やかに離れられる。
- 性を調える法は花を育てる穏やかな天候のようであるべきで、才を保つ法は花を妬む雨のようであってはならない。
- 事は空虚を忌み、人は決まりきった型に落ちることを恐れる。
- 煙や雲の中を放浪する遊蕩児は、日ごとに仙人を気取るが、歌舞に耽る淫らな身は、いつになったら悟りを得られようか。
- 山が険しく鳥道のような場所では花の谷に鶯もほとんど棲まず、道が曲がりくねった羊腸の道では柳の陰があっても馬を放てない。
- 熱い場所にあって冷めた心を思えれば一生涼しさに悩まされず、淡泊な境遇にあって濃やかな味わいを求められれば終生枯れることがない。
- 心にかなう言葉は、理解せずして理解するように受け止めるべきであり、根拠のない言葉は、聞かずして聞くように受け流すべきである。
- よい思いがふと浮かべば書物が酒の肴になり、俠の情が湧けば言葉を人に贈ることができる。
- 親しみやすい人柄は自然に溢れる穏やかさであり、装って温柔にはできない。近寄りがたい態度は生まれつきの高慢さであり、偽って謙虚にはできない。
- 風流に得意になれば才ある亡霊は仙人よりも勝り、業に悩まされれば美しい魂も邪悪な祟りより恐ろしくなる。
- 最も辛いのは書生が落魄する姿であり、最も哀れなのは放蕩児が白髪になる姿である。
- 世の道は闇のようで、青天にも蚩尤の霧がかかり、人情は夢のようで、白日にも巫女の雲が覆う。
- 親密な交わりには前世からの縁があるのであって、鶏や犬を誓いに使うような軽々しいものではない。交わりが絶えるのはその縁が尽きたからであり、些細な行き違いのせいではない。
- 堤防を築かなければ谷を崩す洪水を防ぎきれず、心の操を厳しく保たなければ乱れた性を塞ぎきれない。
- 発端に脈絡がなければ結末は支離滅裂になり、入り口で一歩間違えれば進むほどに混迷が深まる。
- ごまかしは時に応じた妙法であり、一日中うつけているのを嫌う必要はない。明察は事に処する上での禍のもとであり、一生さとく生きることをかえって恨むこともある。
- 美しい石のような姿、冷たい雲に勝る趣を持つ者は決して凡庸な士ではなく、鶯のような言葉、柳のような媚態を真似る者は必ず佞臣である。
- 隠しきれないのは拙さであり、露わにしきれないのは醜さである。
- 口を開けばすぐに人物評や月旦の評を語りたがるようでは、微妙な言葉は絶えてしまうだろう。筆を執ればすぐに華美な飾りに驚くようでは、妙処は伝わらない。
- 風波が激しく荒れても、空舟のように動じなければ波風は自ずと静まり、矛盾が互いに傷つけ合っても、柔らかな指で解きほぐせば兵刃は自ずと収まる。
- 豪傑は簡素で淡泊な生き方の中から生まれ、神仙は忠孝の心から起こる。
- 人は道を得なければ生老病死の四つの関門を透れない。美人や名将が老いと病に苦しむ姿は、とりわけ哀れである。
- 日月は矢のように過ぎ、人生は浮ついたものであるから、ただ静かに臥すことが少しでも寿命を延ばす道であり、世事は塵のように舞い、人生は労苦に満ちたものであるから、ただ静かに臥すことが少しでも心を安らかにする道である。
- 一生眉をひそめるようなことをしなければ、天下に歯ぎしりするほど恨む人もいないはずである。
- 暗室の中の一灯、苦海を渡る三老(水先案内)、疑いの網を断つ宝剣、盲いた目を開かせる金の針、いずれも心の迷いを解く働きをたとえたものである。
- 貪り取ろうとする心が消えれば魚や鳥さえ懐き親しみ、乱れた気が消えれば世の道に恐れるものもなくなる。
- 善人は安らかで、夢の中でさえその魂は穏やかな気に満ちているが、凶人は荒々しく、声や笑いの中にさえ殺気が漂う。
- 天下に処理できない事はなく、ただ「これをどうするか」と二度自らに問えばよい。天下に対処できない人はなく、ただ「自ら省みる」と三度心に念じればよい。
- 俗を脱すれば奇となり、汚れに染まらなければ清となる。
- 巧みでありながら拙く見せ、明るくありながら暗く見せ、動きながら静かに見せる。
- 玄妙な道を極めるのは本性を見るためであり、道を語るのは真を修めるためである。
- 世の人はみな目覚めているときに濁った事をなしながら、眠っているときには清らかでありたいと願う。眠っているときに清らかでありたければ、目覚めているときに清らかな心を持つべきである。
- 読書を好むのは死後の名声を求めるためではなく、見聞を広げたいという心の願いによる。だからこそ倦むことなく学び続けられるのであって、名声のために七尺の身を労するのではない。
- 一間の部屋、六尺の土地、荘厳さはなくとも精致な趣がある。蒲団を円座とし、衣を布団として、昼は坐し夜は眠る。灯り一つ、香一炷、石磬の音、木魚の音を数回。龕は常に閉じ、門も常に閉ざし、善き人は招き入れ、悪しき人は避ける。髪は剃らず、肉食も忌まず、道士の心を持ちながら儒者の装いをする。名を貪らず、利を図らず、清浄を守って解脱を志す。何のわだかまりも束縛もなく、暇なら入り、忙しければ出る。無用の是非を省き、無用の気負いを省き、方外に遊ぶでもなく世を避けるでもない。家にありながら出家し、世にありながら世を出る。仏とは何者か、仏とはどこにいるのか。これこそ最上の境地であり、これこそ真の三昧である。日々を重ね年々を重ね、この生涯を終えるまで、後は子孫に任せればよい。
- 草の色や花の香りに、旅人はその真の趣を楽しみ、桃が咲き梅が散るのを見て、達観した人はその無常を悟る。
- 客を招き賓を留めて歓を尽くすのは喜ばしいが、まだ俗世への未練を断ち切れていない。花に水をやり木を植える趣味は清らかだが、これもまた道を修める者には妨げとなり得る。
- 常に病んだときのことを思えば俗世への執着は減り、常に死ぬときのことを思えば道心が自ずと生まれる。
- 道場に入って随喜すれば修行の思いが盛んになり、墓地に登って徘徊すれば名利の心はたちまち消える。
- 金を溶かし玉に傷をつけるような讒言の徒は昔から絶えず、垢を洗い傷を探すように優れた人物のあら探しを好む者も多い。秋風が耳を過ぎるように聞き流し、多少の霧が空を覆っても構わないと構える方がよい。
- 真の放埒は酒を飲み歌を高吟することにあるのではなく、偽りの矜持はかえって大勢の前で目立とうとすることにある。世の事情を見通せば自ずと功名を重んじなくなり、目の前の真実を認識できれば常に楽しみの場を見出せる。
- 富貴や功名、栄枯や得失を思うと、人はいつの間にか白髪になっていることに驚く。風花雪月や詩酒琴書を楽しむ世界の外では、心通う人に出会う喜びがある。
- 欲を断たなければ、蛾が灯に飛び込んで身を焼くようにいずれ滅び、貪欲を止めなければ、猩々が酒を好んで血を流すまで止まらないようなものである。
- 川や湖を渡ってこそ波濤の激しさが分かり、山や嶽に登ってこそ道の険しさが分かる。
- 人生は満ち足りるのを待つが、いつになったら満ち足りるのか。老いる前に閑を得てこそ、それが真の閑である。
- 空を語ればかえって空に惑わされ、静けさに耽ればかえって静けさに縛られる。
- 昔ながらの陶淵明の酒の頭巾を脱ぎ捨て、新たに張旭の狂草の書を払いのける。世に昏々と過ごしても構わない、ただ自らの心がはっきりしているかを問えばよい。
- 書史を庭園とし、詩歌を音楽とし、義理を美食とし、著述を美しい衣とし、読誦を耕作とし、見聞を蓄えとし、古人の言行を師友とし、忠信篤敬を修養とし、善行によって福を招くことを因果とし、天命を楽しみ知ることを極楽浄土とする。
- 雲や煙の影の中に本当の自分の姿を見て初めて、肉体が束縛にすぎないと悟り、鳥の声の中に自らの本性を聞いて初めて、感情や意識が武器のようなものだと知る。
- 人の言葉によって道理を悟った場合は、悟りとともにまた迷いも生じ、自ら悟った明晰さには遠く及ばない。外界の境遇から得た興趣は、得るとともにまた失うこともあり、自ら得た満ち足りた境地には遠く及ばない。
- 白昼に人を欺いても、深夜の静けさの中での恥じらいから逃れることはできず、若い頃に志を失えば、老いてから空しい悲しみだけが残る。
- 静止した雲や止まった水の中にも、鳶が飛び魚が躍るような生き生きとした景色があり、風雨が激しく荒れる場所にも、波静かで穏やかな風光がある。
- 平地の坦々とした道でも車は覆ることがあり、巨大な波濤の中でも舟は渡ることができる。事がないと思って油断すれば必ず事が起き、事があると恐れて備えれば案外何事も起きない。
- 冷えた灰の中にも半星の生きた火があり、濁った流れの中にも一筋の清らかな泉がある。
- 石を磨けば石が尽きて玉が現れ、砂を淘げば砂が尽きて金が現れる。
- 初めて交わるときに心を開きすぎてはならない、開きすぎれば交わりは長続きしない。長く付き合う相手には隠し事をしてはならない、隠せば必ず心に険しさが生じる。
- 丹に蓄えられたものは赤く、墨に蓄えられたものは黒い。人は交わる相手や環境に染まるということである。
- 怠けているなら横になってよいが風に当たってはならず、静かでいるなら座ってよいが思い煩ってはならず、悶々としているなら人と向き合ってよいが独りでいてはならず、疲れているなら酒を飲んでよいが食べ過ぎてはならず、酔っているなら眠ってよいが色事に耽ってはならない。
- 書生の薄命はちょうど側女の身の上に似ており、宰相が才を惜しむのは官位に関わらない。
- 若くして聡明なのは前世からの根を抱いているからであり、今生で愚鈍なのは来世を占う手がかりとなる。
- 世の中の塵にまみれた気を払えば、胸中に炎も氷もなくなり、心の中の吝嗇を消し去れば、目の前にはいつも月光と風の趣がある。
- 俗世との縁を断ち切れば、煩悩はどこにも寄る辺を失い、世俗の思案を消し去れば、清虚な境地がそこに根を下ろす。
- 市井では利を争い、朝廷では名を争うが、棺に納まる日に何を持って冥途の旅の供とできようか。春には花を、秋には月を楽しみ、鍬を担ぐときこの身は常に蓬萊に酔っている。
- 駟馬(四頭立ての馬車)をもってしても追いつけない口の禍を思えば口を慎むべきであり、隙間を過ぎる駒のように早い時間を思えば寸陰を惜しむべきである。
- この上ない廉潔もしょせん小さな善にすぎないが、わずかな貪汚は大きな悪となる。
- 玄妙にこだわる病は平易さで治し、才気走る病は深沈さで治し、大まかすぎる病は充実で治す。
- 心を開き放ったらすぐに引き締め、言葉を発したらすぐに簡潔に黙すことを心がける。
- 貧しいことは恥ずかしくない、恥ずべきは貧しくて志がないことである。賤しいことは憎むべきでない、憎むべきは賤しくて能がないことである。老いは嘆くべきでない、嘆くべきは老いて空しく生きることである。死は悲しむべきでない、悲しむべきは死んでも何の益もないことである。
- 身は厳かに重々しく、心はゆったりと定まり、顔つきは温雅に、気は穏やかに、言葉は簡潔で緩やかに、心は明るく、度量は広く、志は果断で、心配りは細やかに、事は手堅く運ぶべきである。
- 富貴の家は寛容さを学ぶべきであり、聡明な人は篤実さを学ぶべきである。
- 巡り合わせのせいにするのをやめ、すべて人事の責任と考える。世間に過大な期待をかけるのをやめ、すべて我が身に求めるべきである。
- 貧富や栄達が運命によることを早く知っていたら、若い頃に読書をもっとしておかなかったことが悔やまれる。
- 世の人は白昼にも寝言のようなことを言うが、もし眠っている中でさえ白昼の言葉を語れるなら、常に目覚めている境地と言えよう。
- 世の中の様相のあまりの移ろいやすさを見れば、浮雲もかえって定まった情のように思え、世の味わいがすべて空しいことを味わえば、流水もかえって深い趣を帯びて感じられる。
- おおよそ聡明な人ほど事を誤りやすい。なぜなら聡明さは自分の考えを生み、考えが生まれるとそれに執着して手放せなくなるからである。愛欲の淵に溺れる者は、たいてい極めて聡明な人である。
- 是非の議論は釣り人のもとには届かず、栄辱は馬に乗る人につきまとう。
- 名を求める心がまだ消えていなければ、妻子の前でさえ体面を取り繕う。内心の思いが解ければ、夢の中でさえ清らかに澄み渡る。
- 蘇秦が貧窮から立身したことを見れば、城外の二頃の田が多くの人を誤らせたと分かる。蘇秦が功名によって身を滅ぼしたことを見れば、六国の宰相印もまた人を害するに足ると分かる。
- 名利の場では抜け目のなさは容れられず、生死の岐路ではむしろ愚直さが求められる。
- 一杯の酒で万世の名を残すより、生きているうちに一杯の酒を楽しみ、自ら身をもって楽しむ方がよい、他のことを気にかける必要があろうか。百年の人生で千年先までの計画を立てても、今日に至って百年生きた者が誰かいるだろうか。棺一つに身を納めれば、すべては終わりである。
- 郊外は人を葬る場所ではなく、楼台こそが実は墓所である。辺塞は人を殺す場ではなく、歌舞こそが実は刀兵である。試みに華やかな衣裳の群れを見れば、それは林立する旗指物と何ら変わらず、管弦の音の絶え間なさを聞けば、それは松柏のざわめきと何ら変わらない。王侯の骨を葬るのに、いくつの楼台を費やせるだろうか。壮士の首を落とすのに、いくつの歌舞に耐えられるだろうか。達観した人はこれを一つのものと見るが、愚かな人はこれを別のものと見誤る。
- 節義は青雲をも凌ぐほど高く、文章は白雪の曲のように高尚であっても、徳性によってこれを陶冶しなければ、結局は血気の私欲、技芸の末節にすぎなくなる。
- 人に功があっても、それを心に留めてはならない。しかし過ちがあれば、心に留めておかねばならない。人から恩を受けたら、それを忘れてはならない。しかし怨みは、忘れなければならない。
- 道の狭いところでは一歩を譲って人を先に行かせ、味の濃いものは三分を減らして人に分け与える。これが世渡りの最も安楽な方法である。
- 自分の感情は縦にせず、逆らう法をもって制すべきであり、その要は「忍」の一字にある。人の感情には逆らわず、順応する法をもって調えるべきであり、その要は「恕」の一字にある。
- 昨日の過ちは引きずってはならない、引きずれば消えた根がまた芽を出し、俗情がついには道理を損なう。今日の正しさに固執してはならない、固執すれば汚れがまだ消えぬまま、道理がかえって欲の根に転じる。
- 文章は山水への執着を癒せず、身も心もたびたび山や谷にとらわれてしまう。