醉古堂劍掃引(醉古堂劍掃 引)

任大冶引

  • 古今の書物は数多いが、その主旨はまっすぐ人の心を開くことにある。六経や『論語』『孟子』はいずれも心を広く開くことを目指し、諸子百家もみな人の本性や処世の術を明らかにするものである。だから要を得た一言があれば、長い書物もすべてその注釈となり、微妙な意味を突いた一言があれば、村の俚謡でさえ人を笑わせるに足りる。目の前の山野の緑や砂利のかけらも、悟ってしまえば道理を含み、黄金にも等しく見えてくる。孤独に吟ずる者や世を避ける人の趣味は禅の楽しみに似て、決して正統な教えに背くものではない。『撃壌歌』のような素朴な歌謡が採録に値するのと同じく、荒唐無稽な『斉諧』の類よりもはるかに優れている。
  • 湘客・陸君(陸紹珩)は書物に心を寄せ、蔵書の中から奥深い意味を探り、朱筆で書き込みを加え、秦の焚書の憂いに感じるところがあって、これを『剣掃』と名づけた。世俗の因習を憤って智慧の刃で断ち切り、また世が迷いに沈むのを憐れんでこれを救う筏としたのである。酒の後、茶の合間にこれを繙けば、名利の心はたちまち消え、清らかな気が満ちてくる。生公が頷き、平子が絶倒するほどの面白さがあり、あくせくと田畑の水音を聞くよりも、また春の日に黄鸝の声を聴くよりも優る。ただ実を厭うて虚に逃げ、虚を借りて実を得ようとする輩には都合が悪く、賓客の前で空理空論を弄びながら内心では利を求めてやまない者、そうした妖魔じみた心根は剣でも掃い切れない。もし剣の技がまだ未熟だというなら、湘客のために私がさらに剣の術を説こう。
  • 甲子(1684年推定)の立冬の日、天台の任大冶(字は天卿)が金陵の白雲冷署でこれを題した。

汝調鼎引

  • 晋代の風流、宋代の名理は、今日の士人の門戸となっているが、口先の議論に始まり、いつしか心の奥に染みついて党派の対立を固めてしまった。三千年来、多くの男子はこの惑いを洗い落とせず、清らかな世界は利欲の場に沈み込んでいる。この悪習を痛感しながら、それを断つ刃がないことを恨んでいた。
  • 同郷の湘客・陸氏は天随先生(陸亀蒙)の末裔であり、才知に恵まれ、時代を見通す慧眼と広く世を思う心を持つ。甲子の秋、共に剣を懐にして金陵に赴き、鳳台に登り、燕磯で足を濯ぎ、鍾山を遠く望み、桃渡の歌声を聞いて心ゆくまで楽しんだ。暇な折々に、日頃読んできた古今の清言を選び集めて一書とし、『剣掃』と名づけた。これはまさに暗室の一灯、苦海を渡る導き手である。
  • 兵法や剣術を語るのは志ある男児の事であり、士節の衰えたこの時代にあって、その鋭い気概と犀を断つ利刃を試してみせれば、その鋭さは正視できぬほどであり、天下の人々はこれに磨きをかけて待ち望むだろう。塵にまみれれば名剣も光を失い、彩りを添えれば鈍い刀も輝きを増す。世に理解者があれば、床頭の刃をいつまでも鞘に収めておく必要はない。
  • 古呉の友人、汝調鼎(字は石臣)が霊谷寺の精舎でこれを題した。

徐履吉引

  • 内弟の湘客が金陵から帰り、私を訪ねてきた。試験の後どんな仕事をしていたかを尋ねると、一冊の書物を差し出して見せてくれた。古今の名士の清談を選び集めたもので、『剣掃』と名づけたという。何人かの同志がこれを刊行しようと序文を求め、私にも一筆求めてきた。湘客はまだ若く、進士を目指す志を抱いていたはずなのに、なぜこのようなものを著したのかと思ったが、思うにそれは、世の中の争いを目にしたためであろう。名を争う者は朝廷で貪欲に振る舞い、利を争う者は市井であくせくし、異民族が跳梁し、宦官が政を専らにし、党派が互いに排斥し合う様がますます甚だしくなっていくのを、内心ひそかに厭い賤しみ、これを掃い去らねば気が晴れないと感じたのであろう。
  • 世の中の混乱した空気を払うには、形のない名剣が要る。人情の障りを清めるには、細かな穢れをも断つ鋭さが必要である。剣の技が精妙であれば、堅いものも脆いものも打ち破れぬものはなく、城砦も陣営もたちまち崩れ去る。物にすがり旗を奪うような功も、たちまち投げ捨てられよう。この新刊が世に出れば、悩める高士や達人がこれを机上で試し、清らかな香や苦い茶とともに朗誦すれば、自ずと汚れは去り、清虚の気が満ちてくる。両脇に風が生じ、飄々として仙人になったかのようになるだろう。俗情もまた払いがたいものではない。
  • 南洲の後裔、徐履吉がこれを題した(草書にて)。

倪煌引

  • 蒼頡が文字を作って文明が開けて以来、虫や鳥さえも自らの姿を天地の間に留めようとしてきたが、それゆえに文字の乱雑もまた甚だしくなった。その後、秦の始皇帝が現れ、咸陽での焚書によってその穢れを一掃したことは、あながち非とばかりは言えまい。それは古今の一大快事であった。しかし今日に至って、村の壁書や科挙答案の文の間、書肆の版木の中に、再び三たびその乱雑さが積み重なり、もはや言葉に尽くせぬほどである。どうにかして始皇帝が再び現れ、咸陽を灰にした炎を燃やして今日の乱雑さを一掃してくれないものか。すると誰かが手を叩いて叫んだ。「それには湘客・陸氏の『剣掃』があるではないか」と。
  • 鴛湖の倪煌がこれを題した。

陸紹璉引

  • 一巻を読めば一巻の得るところがあり、一日書物に向かえば一日の得るところがある。だから晩学の者も典籍を十分に読み尽くせずとも学び続ける。蘇軾(子瞻)が王庠に与えた書簡に、「若い頃に学ぶ者は、一つの書物を幾度も読み方を変えて読むべきだ。書物は海のように豊かで、あらゆるものが揃っているが、人の力には限りがあり、すべてを一度に収め取ることはできない。ただ求めるところを得ればよいのだ」とある。韓愈(退之)も「事を記す者は必ずその要点を挙げ、言葉を纂める者は必ずその奥義を掴み取れ」と言っている。こうした先人の言葉を踏まえながら弟(陸紹珩)の『剣掃』を読むと、なるほどと得心がいく。弟は生来他に趣味がなく、ひたすら古人の書を好み、心に響く優れた言葉に出会うたびに手ずから書き写して楽しみ、それが積もって一冊の書物となった。古い硯石のように、また親しい友のように、人に見せることを惜しんで秘めていた。
  • 甲子(1684年推定)の秋、試験の得失にも淡々としていた弟が、新たに編んだこの書を見せてくれた。以前から秘めていたものを、友人たちが強いて刊行させたのだという。読み通してみると、清々しい気が満ちてきて、物と我、得と失の区別を忘れさせるほどであった。この書は一人の心を掃い清めるだけでなく、多くの酔える人々をも醒ますことができよう。学問や経世の道は本来これだけに限られるものではないが、弟にはその才を包み隠して軽々しく用いないでほしいと願う。もし刃を研いで試せば、その鋭さに近づけぬほどであり、単なる一剣の働きにとどまらないだろう。私は不才ながら、書を好む癖では兄弟同然の間柄であり、自らもよく読み、かつ人にも薦めたいと思う。それゆえ数語を付し、喜びとともに恥じらいの気持ちも記しておく。
  • 兄・陸紹璉が有美堂でこれを題した。