醉古堂劍掃序(醉古堂劍掃 序)

小牕幽記序(陳本敬)

  • 人の徳の最上は「立徳」、その次は「立言」である。言葉はその人の心の声であり、人柄や学識は言葉を通して現れる。荒っぽい言葉、狭量な言葉、くどい言葉、脈絡のない言葉はいずれも口先だけの戒めを踏むにすぎず、大言壮語や空疎な議論も人を導く手本にはなり得ない。後世に伝わり遠くまで行き渡る文章、名山に納めて朽ちない著作を求めるなら、その要を押さえていることが何より貴い。
  • 眉公(陳継儒)先生は当代随一の名声を負い、志を高く持ち、生涯多くの著述をなした人物である。かつて『小牕幽記』を編んで自ら楽しみとし、天地の秘めごとを漏らし、経書・史書の精華を汲み取った。その言葉には煙霞のような趣があり、韻律は金石のように調和し、世を醒まし世を保つ働きを持ち、一字たりとも決まり文句に堕していない。払子を揮って清談の座を奪うほどの勢いがあり、頬を緩ませる巧みな語りは常に筆の花を咲かせる。端正な語りと奔放な語りが入り混じり、雅正でありながら温かみも兼ね備え、美なるものは尽く備わり、奇なるものも欠けるところがない。決して当てのない放談で、単に瓶の蓋の紙代わりに終わるようなものではない。
  • 許昌の崔維東は博学で古を好み、この書を刻して同好の士に頒ちたいと願い、序文を私に求めてきた。そこで浅学を顧みず、あえて巻頭に簡単な言葉を記した次第である。

跋(陳本敬)

  • 乾隆三十五年(1770年)庚寅の春、昌平の陳本敬(字は仲思)が聚星書院の謝青堂においてこれを記した。