宋史演義第六十九回 劇盗を破り将帥斉しく駆く/強虜を敗り弟兄績を著す (破劇盜將帥齊驅 敗強虜弟兄著績)
紹興改元と各地の盗賊招撫
建炎五年は紹興元年と改元。高宗は秦檜の南帰で二帝の消息を得て元旦に遙拝を行う。各地の盗賊のうち一部は鎮撫使として取り込まれたが、桑仲・戚方・劉忠・邵青・張用・范汝為・李成らはなお平定されていなかった。
張俊・岳飛による李成討伐
李成の部将馬進が江西を席巻すると、張俊は洪州に籠って守りを固め、岳飛の献策で奇兵を用いて馬進の陣を撃破。逃げる馬進を岳飛が筠州で追い詰め、投降兵を寛大に扱いつつ追撃を続けた。
馬進の戦死と李成の敗走
張俊・楊沂中との挟撃で馬進は敗走し、岳飛が朱家山・楼子荘で李成の大軍を突破、乱戦の中で馬進を討ち取った。さらに張俊・楊沂中の渡河奇策により李成軍は壊滅、李成は劉豫のもとへ落ち延びた。
張用の帰順と范汝為の討伐
同郷のよしみで岳飛が張用に降伏を勧めると帰順。邵青は捕縛の上赦免され、范汝為は韓世忠に討たれて自焚死し、江淮・東南はほぼ平定された。
張栄の縮頭湖の戦い
興化に拠った武功大夫張栄は、南侵を図る撻懶の水軍を湖沼地形を利用して撃破し、多数を殺傷・捕獲する戦果を挙げた。
曲端の獄死
陝西では張浚が曲端を宿怨から誣告に基づき投獄し、拷問の末に獄死させた。愛馬「鉄象」も後を追うように死んだという逸話が添えられる。
呉玠の和尚原防衛
関隴の要地を守る呉玠は和尚原に拠り、金将没立・烏勒折合の挟撃を撃退。積極的な迎撃で烏勒折合軍を敗走させた。
兀朮の再攻撃と呉玠兄弟の奮戦
兀朮は大軍を率いて和尚原に迫るが、呉玠・呉璘兄弟は将士に忠義を誓わせ、駐隊矢と呼ばれる連射戦術と夜襲で金軍を撃破。兀朮は負傷し、鬚を剃って変装して逃げ延びた。
劉豫の汴京遷都と桑仲・李横の反攻
劉豫は汴京に遷都するが、旗が暴風で吹き飛ばされる凶兆に見舞われた。桑仲は反攻を図るも部将に殺され、その部将李横が跡を継いで潁昌などを攻略するが、劉豫の援軍要請を受けた兀朮に敗れた。
劉子羽の潭毒山籠城と撤離喝の撃退
金将撤離喝の侵攻に対し、劉子羽は潭毒山に築いた陣で泰然と構え、金兵を退けた。使者を斬って抗戦の意志を示し、呉玠との連携で撤離喝を撃退した。
仙人関での金軍撃退
翌年、兀朮・撤離喝・劉夔の連合軍が仙人関に迫るが、呉玠・呉璘兄弟は要害を固守し、夜襲で金軍を大敗させた。呉玠は川陝宣撫副使、呉璘は定国軍承宣使に任じられた。
評語
南渡の名将として張俊・韓世忠・劉光世・岳飛が並び称されるが、劉光世は実質を伴わない凡将であり、呉玠兄弟の隴蜀防衛の功績は彼らに劣らぬにもかかわらず正しく評価されていないと筆者は疑問を呈する。