宋史演義第一十八回 張斉賢、謀を用い敵を卻く/尹継倫、力を奮い営を踹む (張齊賢用謀卻敵 尹繼倫奮力踹營)
陳家谷の顛末と論功
- 潘美・王侁は陳家谷で楊業を待たずに退却し、楊業は援軍を得られず戦死した。太宗は楊業の忠烈を惜しみ太尉大同軍節度を追贈、潘美は降格、王侁は除名処分となる。
- 楊業の子延昭・延玉らにも恩賞が与えられ、楊家は存続する。
- 敗軍の将である曹彬・米信も処罰されて降格。田重進・李継隆は無事に功を認められる。張齊賢は代州に任じられ辺境防備にあたる。
君子館の敗戦と賀令図の死
- 契丹軍が再び南下し、君子館で劉廷讓の軍が耶律休哥に大敗する。李継隆の後詰も間に合わず、廷讓はわずかな供回りで辛くも逃げ延びる。
- 休哥は雄州の賀令図を偽りの降伏話でおびき出して謀殺し、深・邢・徳三州を陥落させて略奪する。賀懐浦もすでに楊業戦死の際に討ち死にしており、賀氏父子は一年のうちに相次いで滅んだ。
張齊賢の計略と尹継倫の奇襲
- 耶律休哥は勢いに乗じ代州へ迫るが、知代州の張齊賢は潘美との夾撃を約束しつつ、潘美軍が実は撤退したことを伏せて味方を鼓舞し、夜襲と疑兵の計で休哥軍を撃退する。
- 太宗の大規模徴兵計画は李惟清・李昉らの諫言で範囲を縮小される。趙普は再び入朝し太保兼侍中に、呂蒙正が同平章事となる。奸臣侯莫陳利用の誅殺など朝廷内の粛正も描かれる。
- 呉越王銭俶が急死し、李継捧は夏州へ帰され弟継遷の懐柔を託されるが効果はなく、契丹の侵攻は続く。
- 契丹軍が威虜軍への糧道を狙う中、北面都巡検使の尹継倫はわずかな手勢で奇襲を敢行、油断していた耶律休哥軍を徐河で撃破し、休哥自身も負傷させる。
評語
- 耶律休哥ほどの名将も張齊賢・尹継倫に敗れたことを挙げ、宋側の敗因はむしろ辺将の人選の誤り(賀令図のような功を焦る凡将の登用)にあると指摘する。