宋史演義著者自序(自序)
正史編纂の難しさ
後儒は『宋史』の煩雑さを難点とするが、対する『遼史』『金史』は簡略に過ぎるとの批判がある。柯氏『宋史新編』、薛氏『宋元通鑒』、王氏『宋元資治通鑒』、陳氏『宋史紀事本末』などが遼・金二史を併せて編んできたが、それぞれ詳略にばらつきがあり、一般の読者がそのすべてに目を通すのは難しい。宋代の事跡を伝える雑史も断片的で、両宋の政治・教化の得失や史籍の優劣を見渡すには、広く渉猟するほかない。
巷間の宋代小説への不満
著者は、世に広まる宋代小説の多くが荒唐無稽であることを強く批判する。龍虎相争の話や「狸猫換太子」の逸話は根も葉もない作り話であり、狄青の容貌、龐籍の人物像、岳飛の子孫の逸話、金の太子の最期なども、史実にない虚構が定着してしまっている。正史は文辞が難解で読まれにくいため、俗な小説に仕立てて世に広めること自体は通俗教育として意義があるが、事実を曲げてまで作り話を広めるのは容認できないと述べる。
著述の経緯と方針
著者・蔡東帆(古吳)は、すでに元・明・清三朝の演義を著し好評を得たことから、遡って両宋三百二十年の治乱興亡・賢奸善悪を全百回の演義にまとめることを決意した。正史・稗史を併せて典拠の確かなものだけを採用し、根拠のない荒唐な説は一切採り入れない方針を明言する。
中華民国十一年(1922年)正月、古吳の蔡東帆が臨江書舍にて記す。