宋史卷四百八十 列傳第二百三十九 沈承禮

沈承禮

  • 湖州烏程の人。錢鏐に幕府へ辟召され処州刺史を署された。鏐の子元瓘が娘を娶らせ府中の要職に任じ台州刺史として出、元瓘の卒後子の佐が継ぐと承禮に親兵を掌らせた。俶の襲位後は威武軍節度事知・両浙都鈐轄使を命じられ、王師の江南征討に際し俶は承禮に水陸数万を率いて毘陵攻略を助けさせ、さらに潤州を攻めた際城中の兵が夜に外柵を焼いた折、諸将が救援に駆けつけようとしたが承禮は「東南を撃つと見せて西北に備えるという故事の通りだ」として全軍に甲を着けたまま食事させ堅壁を保ち、他の陣が慌てふためく中で承禮の陣だけは敵に隙を見せなかった。丹陽が平定されると兵を率いて建業に至り、李煜の帰朝に伴いその功を認められ福州節制を真授された。太平興国初、俶の浙右献納に伴い承禮は密州に移鎮し、8年67歳で卒し2日廃朝、太子太師を贈られ内使が葬儀を護った。秦王廷美の失脚に際し有司が糾察した際、俶・惟濬・孫承祐・陳洪進らはみな廷美への贈遺があったが、承禮だけはなかったという。