黄潜善らを弾劾し配所で守った忠直
- 邵成章は欽宗朝の内侍である。帝が青城に入った際、成章に皇太子を衛らせ宣徳門に赴かせ制を称して行事させたが、太子が北へ連れ去られると、成章は汴京に留まった。康王が即位しようとする頃、元祐太后は成章に乗輿・服御を奉じさせ南京まで至らせ、そのまま揚州への行幸に従った。
- 金人が陝西・京東の諸郡を掠め、山東で群盗が起きたが、黄潜善・汪伯彦はこれを隠して帝に聞かせず、張遇が真州を焼き行在まで六十里に迫っても帝はまだ知らなかった。成章は上疏し潜善・伯彦の罪を条具して「必ず国を誤る」と述べ、あわせて潜善等にもその内容を申し伝えさせた。帝は怒り成章を除名し南雄州編管とした。
- 侍御史の馬伸は「成章は上書したことで罪を得た、今はどういう時代だというのか、言論を忌み嫌うとは」と言った。しばらくして帝は成章の忠直を思い行在に召そうとしたが、成章の徒を忌む者が帝に讒言し「邵九百(成章の綽名)が来れば、陛下に歓楽はなくなるでしょう」と言い、洪州に留め置かれた。金人が洪州に入りその名を聞き訪ね捕らえると「あなたが忠正で我が主に仕えられることを知っている、坐して富貴を享受できるだろう」と言ったが、成章は応じず、威をもって脅されても従わなかった。金人は「忠臣である、私は殺すに忍びない」と言い、金帛を贈って去った。