宋史卷四百六十八 列傳第二百二十七 髙居簡

先朝の権勢を非難された宮廷内官

  • 髙居簡、字は仲路、本は番禺の人。父の任により入内黄門となり、温成原廟の造営を護り精辦をもって称され、殿頭に超転し後苑事を領した。梓夔路への使いで駅兵を多く占用した罪に坐し髙品に降せられ、龍図・天章・宝文閣・内東門司を歴領し御薬院を幹当した。
  • 神宗即位後、御史の張唐英は「その資性は憸巧で迎合を善くし取容している」と言い、中丞の司馬光もまた「久しく近職にあって罪悪はすでに多い、祖宗の旧制では御薬院を幹当する官は内殿崇班以上になれば必ず外に出るべきであるのに、今陛下は独り四人を留めており、中外はこれを窃かに議論している。まして居簡は先朝で城社に依り物論の切歯するところであったのに、陛下が継統されるとまた先に自ら結納し寵信の恩を先帝より過ぎさせている、その罪を明治し天下の惑いを解くべきだ」と言った。
  • そこで供備庫使に罷され、やや遷り帯御器械となり、内侍押班に進み、文思使・忠州刺史で卒し、輝州観察使を贈られた。居簡は外廷の議論を聞くと必ず省中に入って告げ、「髙直奏」と目された。仁宗の時、常に南海に使いした際、広州で火事があり救う者の力が及ばなかったが、居簡は衆を督して軍資甲仗の二庫を護りこれによって難を免れ、聞こえて詔により褒められた。