宋史卷四百五十九 列傳第二百十八 徐中行
八行先生
- 徐中行、台州臨海の人。胡瑗の道学に感化され、劉彜のもとで得た瑗の学統を熟読し、夜も安眠せぬほど学に励んだ。父の死に跣足で廬墓、躬耕して母を養い、貧しい親族・郷里の葬儀十余を援助した。羅適の推薦や部使者の遺逸推挙、崇寧中の八行推挙にも応じず、「名を避けるのではなく、行のない者が科目に応じるのが人倫に反する」と語った。陳瓘がその名を「山陽の徐積と並ぶ八行先生」と称えた。
- 子の徐庭筠は童丱の頃より孝友に篤く、免喪後10余年娶らず、秦檜政権下で「今日は歌頌の時にあらず」と批判、岳廟の禄を「心では非としながら躬行するのか」と辞退した。誠敬を旨とし善行を記録して施しを惜しまず、85歳で没した。朱熹は父子を「二徐先生」と称え、墓に「有宋高士二徐先生之墓」と大書した。庭筠の兄庭槐・庭蘭も父の風があり、孫の徐日昇まで六世詩書の家系が続いた。