宋史卷四百五十五 列傳第二百十四 鄧若水

呉曦の乱と史彌遠弾劾

  • 鄧若水、字は平仲。隆州井研の人。博学で気骨があった。呉曦の反乱時、布衣の身で単身討伐を計画したが果たせず、呉曦は他事で死去した。嘉定13年(1220年)進士、対策で史弥遠の専権を激しく批判し末席登第となったが評判を呼んだ。
  • 理宗即位後、封事を上奏し、史弥遠が寧宗の遺命を偽って済王を廃黜・殺害し理宗を擁立した経緯を「弑・簒・攘奪」と断じ、「大義を行い大謗を弭める」「大権を収め大位を固める」「大姦を除き大難を弭める」の三段構成で史弥遠一派の除去を求める長大な上疏を行った。李全の乱にも「済王殺害の名分」が用いられる危険を指摘した。
  • 嘉熙間、再び対を求められ史弥遠の悪行を弾劾する数千言の草奏を用意し、寧宗の死の経緯まで踏み込んで糾弾しようとしたが、事前に機密が漏れ出仕を阻まれ、通判寧国府に左遷された。まもなく辞職し太湖の洞庭山に隠棲、後に賈似道の招きで蜀に帰り山中で没した。