宋史卷四百五十三 列傳第二百十二 屈堅

屈堅(王琦・韋永夀附)

  • 右武大夫・忠州防禦使。建炎二年、金人が陝府を包囲すると堅は所部を率いて救援に赴き包囲を解いたが、金人に捕らえられた。堅は「私がここに来たのは包囲を解くためだ、城さえ守れれば私が死んでも何を憾むことがあろうか」と言い、金人に速やかに殺すよう叫んだ。のち三官を贈られ家族五人が登用された。
  • 王琦は弓門砦巡検。建炎四年、金人が熙河から戻ると琦はこれを防いだ。金人は招降の旗牓を立て年号を「阜昌」(劉豫の年号)に改めさせたが衆は皆拝礼を拒み、琦独り屈せず金人に捕らえられ殺された。
  • 韋永夀は紹興三十二年、統制官として金人と和州で戦い、子で承節郎の世堅が救援に来て共に戦死した。張浚が上奏し中衛大夫・融州観察使を贈られ、世堅には三官が贈られた。