宋史卷四百四十八 列傳第二百七 趙立

楚州に死す

趙立

  • 趙立、徐州張益村の人。兵籍に属し戦功を重ね武衛都虞候。建炎3年(1129年)徐州で金軍と戦い6矢を受けても戦い続け、城陥落後も巷戦し金軍に殺されかけたが蘇生、密かに鄉民を組織して徐州を奪還した。
  • 楚州知事として金の昌将軍の包囲を撃破、烏珠(兀朮)の輜重輸送要求を拒み斬使、南北両屯を築かれ食糧が尽きる中でも戦い続けた。徐州観察使・鎮撫使として楚州を1年以上守り抜き、朝廷の援軍(劉光世・張俊ら)はほとんど動かず、岳飛のみが孤軍で応援した。
  • 高宗は「古の名将にも劣らぬ」と称えたが援軍は届かず、東城攻防で砲撃を受け致命傷を負い、37歳で戦死した。木訥な人柄で忠義は天性、士卒と苦楽を共にした。開府儀同三司・奉国節度使・諡忠烈を贈られ、祠「顕忠」が建てられた。

王復(附伝)

  • 王復、龍図閣待制として徐州知事。建炎3年(1129年)子の王倚と共に金軍と戦い、城陥落後も屈せず、金将に「自分だけを殺し僚吏・百姓を助けよ」と願い出て一族100人が殺された。巡検楊彦年も殉じた。資政殿学士・諡壮節を贈られ、祠「忠烈」が建てられた。

鄭褒(附伝)

  • 鄭褒、徐州教授。城陥落時に金を罵り殺された。