宋史卷四百四十七 列傳第二百六 李邈

真定府に死す

李邈

  • 李邈、字は彦思。臨江軍清江の人。唐宗室宰相李適之の後裔。才略に富み、環慶路糧草通判、霸州知事などを歴任。契丹との共同挟撃策に反対し童貫の不興を買った。都転運使沈積中に無実の罪で追及されたが処分されず。
  • 靖康の際、京師に召され欽宗に和戦の見通しを説き、种師道の指揮権尊重を進言した。京城西壁守禦使として种師道の再戦の好機を逃したことを批判。
  • 河北西路制置使、青州観察使兼知府事として孤立無援の中、民財を募って募兵し防戦、金軍に囲まれ40日抗戦の末陥落。井戸に入ろうとしたが果たせず捕らえられた。斡里雅布(斡離不)に拷問されても屈せず、燕山府に幽閉されても金への協力を拒み続け、髪を剃り僧形となって抵抗、最後は処刑された。高宗は招化軍節度使・諡忠壮を贈った。

劉翊(附伝)

  • 劉翊、靖康元年(1126年)真定府路都鈐轄として金軍と激戦、城陥落後も巷戦を続けたが囲みを破れず自縊して死んだ。