宋史卷四百四十六 列傳第二百五 張克戩

汾州陥落に死す

  • 張克戩、字は徳祥。侍中張耆の曾孫。進士に及第し吳県知事として姦猾を抑え、蔡京の怨みを買い一時左遷されたが復帰。宣和7年(1125年)汾州知事として金の攻撃を撃退、直秘閣。
  • 靖康元年(1126年)金軍再来に対し民心を結束させ死守を誓った。周辺諸県が降る中、汾州は孤立無援のまま抵抗を続けたが陥落。金人に捕らえられ降伏を勧められるも朝服を着て自ら首をくくり、一家8人が死んだ。金将はその屍を礼葬し祭祀を行わせた。延康殿学士を贈られ諡忠確。