宋史卷四百四十六 列傳第二百五 劉韐
太原陥落に死す
- 劉韐、字は仲偃。建州崇安の人。進士に及第し豊城尉・隴城令。陝西平貨司で酋長を懐柔し軍糧を確保、転運使・中大夫・集英殿修撰。震武の囲みを解き、夏との和議交渉を的確に判断した。
- 越州で民の侵耕による租税問題を解決、方臘の乱では城を死守して撃退。述古殿直学士学士院、河北河東宣撫参謀官として种師道と協議し撤退を進言。郭薬師の降を巡る対応で真定府知事となった。
- 河北の盗乱を鎮圧、藥師の馬要求への対応で財政を守った。真定府で金の攻撃に備え、金人は攻めきれず撤退。金の南侵の兆しを察知して城守の準備を進めた。
- 太原救援で解潜・折可求と連携するも敗北。京城四壁守禦使として異姓擁立に抵抗し、「偸生して二姓に事えるより死あるのみ」と自ら縊死した。燕人はその忠節を悼み建炎元年(1127年)資政殿大学士・諡忠顕を贈られた。子の劉子羽、孫の劉珙は別伝あり。