宋史卷四百四十六 列傳第二百五 蘇緘
交阯の侵攻に死す
- 蘇緘、字は宣甫。泉州晋江の人。広州南海主簿として豪商を法により処罰し、陽武尉として盗賊を自ら捕らえるなど剛毅で知られた。儂智高が広州を囲むと、危機を救うため募兵し夜行して赴援、賊の退路を扼して大勝した。
- 亷州知事などを経て熙寧初年、交阯の侵攻の兆しを察知し桂州の沈起・劉彜に警告したが聞き入れられず、熙寧8年(1075年)蛮軍8万が侵入。邕州知事として兵2800で城を固守し、私財を投じて士気を鼓舞した。
- 子の蘇子元を城外に逃し、援軍を求めたが劉彜・宋球の救援は間に合わず、42日の包囲ののち糧食尽き城が陥落。蘇緘は「賊の手にかかって死なぬ」と一族36人を殺して火を放ち自焚した。邕州の民5万余人も虐殺され、屍を積んで城壁を築くのに用いられた。
- 神宗は深く哀悼し奉国軍節度使、諡忠勇を贈った。子の子元は西頭供奉官に、他の子・孫も褒賞された。沈起・劉彜は坐して謫官された。邕州の民は蘇緘の祠を建て「懐忠」の額を賜った。