宋史卷四百四十五 列傳第二百四 朱敦儒
出自と生涯
- 朱敦儒、字は希真。河南の人。父は朱勃、紹聖の諫官。志行高潔で布衣ながら朝野に望みがあった。靖康年間、学官に任じようとしたが辞退し帰郷。
- 高宗即位後、草澤の才徳の士として召されるが辞退。避乱して南雄州に客居。張浚の招きにも応じず、紹興2年(1132年)の召命にも当初応じなかったが、故人の説得により起った。
- 便殿での対応が高宗の心にかない、進士出身を賜り秘書省正字、兵部郎官、両浙東路提点刑獄。汪勃に李光との交わりを弾劾され罷免された。
- 19年(1149年)帰郷を許された。詩・楽府に長じ婉麗清暢と評された。秦檜が文人を用いて太平を装った際、その子を通じて敦儒を鴻臚少卿に起用したが、檜死後に廃された。世論はその晩節を惜しんだ。