宋史卷四百四十四 列傳第二百三 呂南公

生涯

  • 呂南公、字は次儒。建昌南城の人。読まない書がないほどの博識で、文は陳言を綴ることを潔しとしなかった。熙寧中、士人が馬融・王肅・許慎らの学を尊び剽窃摹倣の芸が盛んな中、南公はこれに与せず、一度礼闈に応じたが不遇のまま退き、園を耕して著述に専心、史筆を借りて善を褒め悪を貶する意で自室を「衮斧」と名付けた。
  • 「士がやむを得ず言を発するなら文は工まねばならない、意が余っていても文が足りなければ訴える理があっても曲がって聞こえる」と説き、書契以来の特立の士に文の巧みでない者はいないと論じた。元祐初、十科挙士の制において中書舎人曾肇がその読書と文が俗学に流れず、貧を安んじ道を守り古人を志すことを称え師表科に堪えると上疏、当時の廷臣も多くその名を称えたが、官を命じる議論の途中で没した。遺文『灌園先生集』が世に伝わる。