宋史卷四百四十四 列傳第二百三 李格非

生涯

  • 李格非、字は文叔。済南の人。幼くして俊警で有司が詩賦で士を取る時勢にあって独り経学に力を注ぎ「礼記説」数十万言を著した。進士に及第し冀州司戸参軍、鄆州教授では貧しさを理由に他官を兼ねさせようとした郡守の申し出を辞退、太学録から博士に進んだ。蘇軾の知遇を得て「洛陽名園記」を著し、洛陽の盛衰が天下の治乱の兆しであると論じたが、後に洛陽が金に陥落したことでその言が的中したと評された。
  • 紹聖の党籍編修局で検討官を求められたが応じず執政の意に逆らい、通判広信軍。禍福を語る道士が車馬で往来し民が惑わされているのを見て道士を捕らえ処罰した。校書郎に召され著作佐郎・礼部員外郎・提点京東刑獄を経たが党籍で罷免され61歳で没した。
  • 苦心して詞章に努め、直前を憚らず筆力に停滞がなかった。「文は苟且に作るべきではない、誠を著さねば工まぬ」と語り、晋人で文に優れた者は多いが劉伶「酒徳頌」や陶淵明「帰去来辞」のように字々が肺肝から出るものだけが晋人の中でも高く聳えているのはその誠が著されているからだと論じた。妻の王氏(王拱辰の孫女)も文才があり、娘の清照は詩文で名高く趙挺之の子明誠に嫁し「易安居士」と号した。