生涯と兄・伯虎
- 唐庚、字は子西。眉州丹稜の人。文才があり進士に及第、宗子博士に補され、張商英の推薦で提挙京畿常平となったが、商英の罷相に連座して惠州に安置、赦により承議郎・提挙上清太平宮に復し、蜀への帰路に51歳で没した。文は精密で世務に通じ「名治察」「言閔俗」「存旧」「内前行」等の篇が評価された。文集20巻。子の文若には別に伝がある。
- 兄弟5人あり、長兄の瞻(字は望之、後に伯虎と改名、字は長儒)は易・春秋に家法があった。元祐三年、父が瀘南に旅した際、母の喪に服していた伯虎兄弟が丹山にいたが、伯虎が夜半に「父の書を得たが不吉な文字があった、瀘南に急ぐ」と庚を起こし、水量の増した川で漁師の小舟を強引に使い二日半で瀘南に至ると父は重病であった。父は「天がお前を告げたのだ」と感嘆し、病は一旦快復したが数日後に再発して没した。
- 元符二年、庚が貢挙事件で臨卭に投獄された際、伯虎も連座して械につながれ拷問に耐えて庚を庇い自白しなかったため事件は長引いたが赦により釈放された。伯虎は真率で威儀に構わない性格で当時軽んじられたが、この一件で人々は敬服した。数年に一度しか帰郷せず旬日で再び去る生活を送り、家で没した。子2人あり。