宋史卷四百四十三 列傳第二百二 梅堯臣

生涯

  • 梅堯臣、字は聖俞。宣州宣城の人。侍読学士梅詢の従子。深遠古淡な詩風を目指し、はじめは無名だったが、詢の蔭で河南主簿となった際、留守の銭惟演がその才を惜しみ忘年の交わりを結び、府中の詩人らを圧倒した。欧陽脩は堯臣との詩文の応酬を経て自らの不足を痛感し研鑽を深めたといい、堯臣の名は宋の詩壇で高まった。
  • 「詩意新語工にして前人未道の境地に至り、難写の景を目前にあるが如く描き、言外に余情を残してこそ至上」との詩論を語り、世に評された。徳興・建徳・襄城の県令、湖州監税、忠武・鎮安の判官、永豊倉監を歴任。大臣の推挙で国子監直講、尚書都官員外郎に遷り『唐書』編修中に没した。子一人が官を賜った。
  • 宝元・嘉祐年間、仁宗の郊廟祭祀のたびに詩を献じ、兵法を論じる上書も行った。『孫子』十三篇の注、『唐載記』二十六巻、『毛詩小伝』二十巻、『宛陵集』四十巻を著した。家は貧しかったが酒を愛し客を招いて談笑し、諷刺を詩に託した。ある人が西南夷の布弓衣にその詩が織り込まれているのを得たほど、名声は広く伝わった。